ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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秋燦燦と
朝夕など涼しい気配がただよって、そろそろ秋らしくなってきたかなと思う。
そういえばもうすぐ秋の彼岸であり、暑さ寒さも彼岸までというのはまだまだいえそうだ。
秋といえば、食欲の秋、行楽の秋、そしてやはり読書の秋ではないか、と力んでみてもしかたがない。
「書を捨てよ、町へでよう」という本があったことなど、もうすっかり時代が変わったという感である。
このごろは本屋へ足をむけることもめっきりと減ってしまって、もっぱら図書館で本を借りて読む。
それもときに億劫になることがあり、では家にある本をまた読めばいいのだとも思ったりする。
どんな本があったかと書棚を端からながめていると、あれっと気づくものが鎮座ましましている。
そうだった、忘れてならないのは芸術の秋であり、深まりゆくにつれ輝きをますのである。

5637黒い花びら

「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉 角川書店 ★★★
いまではわりあいにひろくしられてきたことであるが、野中氏は被差別部落出身者である。
だが、それを隠そうとはしなかったし、それを利権の具にすることには強く反対した。
『だから差別を売り物にするなと、差別を自分たちの利権の手段に使うなと。
まじめに真剣に働いて、なお差別されたら、その時は立ち上がれと。
まじめに働きもしないで自分の出生を明かすことによって、自分の利益追求の手段に使うなと。』
部落差別を利権にすれば、さらに差別が再生産されていくということは当然の帰結である。
辛さんは在日韓国人であるが、彼女も本名をかくして生きようとは思わなかった。
差別は、部落、在日、人種などいろいろあるが、知らないでいる差別もじつは多いのではないか。
差別ということは、多様性を認めない、同質性という判断基準を固辞することではないかと考える。
ただ差別はいけないというよりも、いろんな価値観を認めることの意味を教えなければいけない。
そういった視点のない差別反対論は、どこか差別する立場との同質性を感じるのである。
つまり、ちょっとした社会の変化などで簡単に入れ替わってしまう構造をもつものだと思うのである。
差別する人が別の局面では差別される側にいる、ということは実際によくあることである。
多重的であり、なぜ差別するのかについてはこれからも考え続けていかなければと思う。

「袖のボタン」 丸谷才一 朝日新聞社 ★★★
丸谷さんのエッセイから次つぎに新たな読書の分野がひらけていくことがままある。
今回は、こんな本も読んでみようかなと、文中からピックアップしてみた。
以下にご紹介しよう。どんな本を読んだらいいのかという方には参考になるかなと思って。
まずモーツアルトの評論を多く書いた吉田秀和さんのこと。
吉田秀和全集の刊行は、現代日本文化にとって特筆すべき事件だというのである。
『現存する日本の批評家で最高の人は吉田さんだと評価しているからだ。』
『この数十年間の日本の批評は、小林秀雄の悪影響がはなはだしかった。
彼の、飛躍と逆説による散文詩的恫喝の方法が仰ぎ見られ、風潮を支配したからである。』
『吉田さんの方法はまるで違ふ。いつも音楽と実技と実際がそばにある。』
次にやはり日本人は太平洋戦争のことをいろんな面から知ることが必要である。
『大岡昇平の「野火」を読み返した。五回目か六回目だろう。不案内な読者のため紹介しておくと、
これは先年のいくさの際の、フィリピンにおける日本軍敗残兵を扱ふ。』
ついで、ナオレオン三世のことを書いた「怪帝ナポレオンⅢ世」(講談社)鹿島茂著なる本のこと。
実は今日あるパリの都市構造は彼のパリ大改造によっているのだという話にまつわるもろもろ。
うーん、これで当分読むものに迷わなくてすむ(?)かな。

「日本辺境論」 内田樹 新潮新書 ★★★★
日本人は日本人論が好きである。そこで内田氏も日本人論を書くことにしたということだろうか。
では日本人の価値観がどこにあるのか、どういった生き方をしているかについて考えなければならない。
『ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。
それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、
専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。
そのような人間のことを私は本書ではこれ以降「辺境人」と呼ぼうと思います。』
それが日本人であり、かって世界の中心は中国、インド(ブッダの生まれた)であった。
明治になってその地位を西欧がとって代わったが、世界の中心があることに変わりはなかった。
『私たちに世界標準の制定力がないのは、
私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。
「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。
外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。
そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。
千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。
この欠点をなんとかしろと言っているわけではありません。
私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。
だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。
私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。』
追いつこう、キャッチアップしようとしているうちはよかったのだが、ある意味肩をならべるところまできた。
先頭に立てば風あたりも強いし、目標もなくなるし、いよいよ日本の正念場ということになる。
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遠くに眺めるのも好きです。
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