ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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早春紀行(十二)ヒトの過ち
 平和公園は案外に木陰が少ない。照りかえるあの夏の日に思いは還ってゆく。
原爆ドームの前まで来て見上げるようにして眺めた。言葉がでてこなかった。
胸が詰まるようで息苦しい。いまは早春だが寒さは感じない。
このような時間の過ぎゆくうちにも、どこかで人は生き死んでゆく。
あたりまえな、ふつうの人生が世界中で営まれている。
 人は過ちを犯す。これは仕方のないことだと思う。
「二度と過ちは繰り返しません」と刻まれた言葉は、誰に対してのものだろうか。
ぼくたち人類の、悲しい、どうにもやりきれない独白のようにもきこえる。
時は不可逆的過程だ。過去に戻ることはできない。人生も同様に不可逆的だ。
悔いても悔いても、あのときに戻りやり直すことはできない。
人は分かった、といつも思う。
しかし過ちは姿を変え形を変え、ふたたび幾度も繰り返される。
なにが間違っているのだろうか。これがヒトというものなのだろうか。

 慰霊の塔の前を通って原爆資料館にまでやってきた。
以前に一度入館したことがある。
爆発直後の被爆者の写真がぼくのこころを貫いた。
モノクロの写真がかえって生々しさを映していた。
人々の悲鳴が、慟哭が聞こえるようだ。
頭の中はクァーンという反響音に満ち満ちて、なにも考えることができなかった。
人類は同じ人類に対してこういうことができる。それは戦争だけのせいではない。
人類のもつ特徴なのだ。ぼくも例外とはなりえない。そのことが痛いほどわかった。
そのことを忘れずに生きていくしかない。
悲しさとはちがうやりきれない感情につつまれた。
いまでも、いつでも、どこにいても、けっして忘れられるようなことではない。
でも、人は忘れたふりをしてでも生きていくことがある。

F0073平和公園

 ぼくは焦点も合わせられない眼で建物を見上げつつ、その場をそっと立ち去った。
 市電の走る道路を横切って、本通り商店街にある本屋に立ち寄った。
二階に上がると、アーケード側がガラス窓になっていた。窓のそばに歩いていった。
見下ろすアーケードの通りを行き交う人たちがなぜか別世界の人のように感じられる。
呆然とした感覚に立ち尽くすばかりだった。
いつもなら好きな本さがしもする気がしない。
列車に乗ろう。広島をはなれよう。
広島にはまたもどってくればいい、いつの日か。
レール上の振動に身をゆだねたい、とそのときは思った。
 そうこころに決めれば駅をめざして歩くばかりだ。
昼間の流川を抜けて市電沿いを歩いた。
橋を越えると広島駅が見えてきた。
ゆっくりと歩くと、ゆっくりと駅も近づいてきた。
混雑する広島駅の構内を早足で歩いた。跨線橋を渡り人もまばらなホームについた。
すでに発車待ちの列車がホームにとまっていた。
列車に乗り込みザックを網棚にあげる。
窓際に席をとれば気分もすこし楽になってきた。
列車は静かにホームをはなれた。
遠ざかってゆく広島の街を眺めながら、また来ることもあるだろうかと漠然と考えていた。
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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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