ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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震災復興への道
内田樹教授は、三月十三日のブログ「未曾有の災害のときに」でこんなことを書いておられる。
(内田氏は自身のブログのコピーアンドペーストはご自由にという基本方針である、さもありなん)
(詳しく読みたい方は、「内田樹の研究室」リンクからご自分で飛んでお読みください)


「安全なところにいるもの」の基本的なふるまいかたは次の三点にあるのではないかとおっしゃる。

(1)寛容 「安全なところにいる人間」と「現地で苦しんでいる人間」を差別化して、「苦しんでいる人間」を
代表するような言葉づかいで「安全なところにいる人間」をなじる人間がいる。
そういうしかたで自分自身の個人的な不満や攻撃性をリリースすることは、
被災者の苦しみを自己利益のために利用していることに他ならない。自制して欲しい。

(2)臨機応変 平時のルールと、非常時のルールは変わって当然である。

(3)専門家への委託 オールジャパンでの支援というのは、ここに「政治イデオロギー」も「市場原理」も
関与すべきではない、ということである。災害への対応は何よりも専門家に委託すべきことがらであり、
いかなる「政治的正しさ」とも取引上の利得ともかかわりを持つべきではない。
私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。

以上三点、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」を、
被災の現場から遠く離れているものとして心がけたいと思っている。
これが、被災者に対して確実かつすみやかな支援が届くために有用かつ必須のことと私は信じている。
かつて被災者であったときに私はそう感じた。


当事者でない人は、その気楽さゆえか辛らつな理想的な空想的ともとれる意見を平気でいったりする。
これは政治状況をみていると日常的にだれもが感じとれることでもあるから、不思議でもなんでもないが。
政権党(与党)のときと非政権党(野党)の立場では、意見が正反対になったりすることもままある。
しかし現実はとまっていてはくれないから、いつまでも議論のみをしていていいということではない。
どこかの時点で妥協点をみいだし、すこしでもよい方向へすすまねばならないことも分かっている。
だが、しばしばそれは忘れ去られ、相手を打ち負かしたいという欲望にまみれてしまうのである。
ここは冷静に落ち着いて、それぞれができることを為し、当事者がよりよい方向へいくことを願いたい。
原子力発電問題でもそうだが、だれもが非難ばかりされれば反発心がわいてくるだろう。
それでやる気をだせ、責任感をもてといわれても、理不尽さばかりが積もってくるのではと心配する。
助けてもらってありがとう頑張ってください、と応援することで彼らの力も倍増するのではないか。
そんなことを考え、この寒さに耐えている人びとのことを遠くから見守っているのである。

3984ベンチ

「本質を見抜く力――環境・食料・エネルギー」 養老孟司・竹村公太郎 PHP新書 ★★★★
議論などで統計で裏打ちされた数字だからなどというが、竹村氏はこう説明する。
『ところで、食料自給率四〇%というのはトリックの数字です。極端な表現を使えば八百長です。
一九六八年までは農林水産省は自給率を生産額ベースで発表していたのです。
生産額ベースで出すと当時は八〇%でした。
ところが、八八年から九四年まで生産額ベースとカロリーベースを併記するようになった。
生産額ベースで七十数%、カロリーベースでは四十数%というように。
そして九五年からは、生産額ベースが隠されカロリーベースだけになって、
その結果、みんなが「日本の食料自給率は四〇%」と刷り込まれてしまった。
最近は生産額ベースの数値も出すようになりましたが、論調は依然としてカロリーベースの四〇%です。
国民が自分の国の食料自給率を四〇%と聞いたら、誰でも腰から脚の力が抜けていきます。
ところが、生産額ベースで計算すると、七〇%あるのです。生産額ベースとは、わかりやすく言えば、
私が一万円で食料品を買ったら七千円分が国産だったということです。
なぜカロリーベースの自給率を流布させたのか?
これは、「農水行政は大事だ」と思わせるための操作だと思います。』
カロリー摂取過多で困っている(?)日本人になぜカロリーベースの自給率が必要なのか。
養老先生もこうおっしゃるのである。
『先日出席した会議のデータには、現在の日本の人口を凍結して計算しても、
国民一人当たり、昭和二十年代の総カロリーは保障できると書いてありました。』
これから人口はどんどん(?)減少していくから、逆に自給率はどんどんアップしていくのだろうか。

「警視の覚悟」 デボラ・クロンビー 講談社文庫 ★★★★
ダンカン・キンケイド警視のシリーズもこれでもう十一作目になる。
ジェマ・ジェイムズ警部補といまもいっしょに住んでいるのだが、正式に結婚してはいない。
やってきたクリスマス休暇をダンカンの実家で過ごすことになり雪の降るチェシャーにむかう。
そのころダンカンの妹ジュリエットは作業現場で赤ん坊の死体を発見していた。
キンケイドの息子キッドとジュリエットの娘ラリーはともに十三歳で多感な時期である。
事件の推移とは別に、キッドたちの青春の日々はなんだかなつかしい気がする。
またナロウボートで運河生活をしていた女性が謀殺される事件がおきるたりもする。
だが、こうした船上で運河に暮らすということは自由に生きるということを象徴しているようだ。
イギリス人の理想とする生き方のひとつがそこにあるのかもしれない。

「追悼「広告」の時代」 佐野山寛太 洋泉社新書 ★★★★
『膨大な広告費を食べて生きてきたマスメディアと大手広告代理店の危機は、いよいよ深刻化している。
二〇世紀に究極まで発展を遂げた「大量生産→大量流通→大量販売→大量消費→大量廃棄」システムは、
これからはこっちの番だと叫ぶ中国やインドの目に前で、奈落に落ちようとしている。
日本の「広告」の時代もその流れに乗って、滝壺に落ちようとしている。
つまり臨終を迎えようとしているのである。』
広告をしないでも口コミでつたわって売れるものがあるという。
だが大量生産、大量販売をめざすならば、それでは追いつかないのだ。
売ることではなく、生産方式を変えれば問題は解決できるのかというと、そうでもない。
『企業にとって人件費はコストである。社員にとって給料は生活費である。
コストを下げれば、企業の収益は増える。一方、社員は給料が下がったり、リストラされて企業外へ
放り出されれば失業者となり、下流社会の最下層に落ちてしまう。
これは、世界でいちばん安くつくれるところでつくったものを、世界でいちばん高く売れるところで売る、
というグローバル市場経済の必然の結果だ。』
人は生きるのにどれだけのもの(金、エネルギー)が必要なのだろうか、再考の時代を迎えつつある。
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遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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