ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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早春紀行(四十)自由と自律
「なんだか、ひまでのんびりしてますねえ、やっぱり真鍋は」
「このひまさ加減、もの憂い気分って、都会では味わえないんじゃないのか。
人間ひまだとロクなことを考えない、なんてことよく言うけどね。
だが、そのロクなことになにかが潜んでいる。ということにでも、とりあえずしておこうかな」
「そうですよね、こうしてのんびりとしてるといろんなこと考えますよね。
ふだん忘れていたというのか、考えたくなかったというのか、そんなことがですね。
あれえ、わたしってこんなこと考えるのか、なんて自分でも不思議な感じがします。
それだけ街で生活するって自由ではないんだなって。他人事みたいですけど…」
 そう言ってTさんは恥ずかしそうに舌をすこしだした。

 ぼくたちはいつの頃から、なにかに追われるように生きるようになったのだろうか。
自由を求めてとはいうが、なにが自由かについては議論しなかった。
議論するまでもない。自由とはあらゆる封建的遺制からの脱却を意味する。
古いものはすべて封建的であり、遅れており、ゆえに変革しなければならない。
そんな議論がまかりとおる雰囲気の大学から逃れて、この島にやってきた。
 自由は勝ち取ったわけではなく、敗戦によって棚ぼた式に転がりこんできた。
アメリカのいう自由な競争社会とは、ほんとうはなにを意味しているのだろうか。
自由で民主的と教条的に唱えるのだが、その実態は誰にもよくわかっていなかった。
自由はときとして、なにをしていいのか分からないという人々を産みさえした。
 人とは本来競争して生きる動物なのだろうか。
仮に競争するとしても、いったいなにを競うというのだろうか。
イソップの兎と亀の話が意味するものは、そんな競争を嘲笑っているのかもしれない。
けっして実直・愚鈍の良さを描いているのではなく、競争に一喜一憂する愚を示している。
なぜかそんなふうに思えてならないのだった。
 エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が大学生の間ではベストセラーになっていた。
人は自由を求めている間は気がつかないが、自由を手に入れたときにふと思いいたる。
ほんとうはなにが自由なのであり、ぼくたちはその自由になったろうか。
自由の意味を知らずして、ただ騒いでいるだけなのではないのか。
勝手気ままに生きることが自由ではない。
自らが人生の進路を決めるうえでの、社会的制約のないことをいうのか。
人間社会のなかで暮す以上、相互関係をまったく無視することはできない。
法律制度がない時代であっても、社会にルールは必ず存在していた。
 自由に生きるということは、すべてにおいて自分で決断するということである。
それがどんなに些末なことであろうとも、おのれの意志を示さなければならない。
自分で決められないときには決めたいと思うのだが、いざとなると尻ごみしてしまう。
自由は口でいうほどいいものではない、と人々は感じはじめている。
すばらしい指導者の下で、彼に従って勝利を目指してなにが悪いのだろうか。
まさしく反語的に、自由のくびきから逃れて人は生きることを欲しはじめた。
自由ということひとつとっても、ものごとはそう簡単には決着しないのだ。

「自由か…」
とつぶやいたぼくの言葉に、Tさんはすぐに問いかけてきた。
「自由っていいことのようですけど、じゃあどういうことを言うの。
そんなふうに聞かれたら、答えるのがむずかしいですね。
別になに不自由ない生活をさせてもらっているのに、わたしたち贅沢なんでしょうか」
ぼくはなんとも答えられずに、Tさんを見つめた。
彼女もなにも言わずに、ぼくを見つめていた。
ほんの数秒のことでしかなかった。ぼくはおおきく息を吐いて、深呼吸をした。
 時間はどこへと収斂していくのか。時間は宇宙を構成するひとつの次元なのか。
この小さな島で、ぼくは彼女に出会った。時間と空間のわずかな隙間のようなこの島で。
もし出会わなければ、いま抱いている感情も湧きあがってこなかっただろう。
巡りあったことの不思議さよりも、ぼくが彼女に対していだく感情に戸惑いつづけた。
 人を愛するというようなことではなく、彼女という存在がぼくをゆさゆさと揺すぶった。
ぼくはどうしていいのかも分からず立ち尽くし、世界は一瞬のうちに変貌してしまった。

「我思う、ゆえに我在り」
実感としてはそうではない。彼女がいるから、ぼくが存在する。
彼女の存在がなければ、ぼくにとってこの世界の存在する意味はない。
そう思いはじめている自分に気がついて、ぼくはハッとした。
人を好きになるということは、自分の存在が意識から脱落していくことなんだ。
自我が拡散して、宇宙と同化雲散霧消することなんだ。
 人はなんのために生きるのか。ぼくは速度を増していく渦のなかでつぶやいていた。

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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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