ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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早春紀行(四十三)眩暈の果て
 眩暈は、目もくらむような不安定さとともに、なにか秘密めいた感覚をもたらす。
定位できない頼りなさであり、不全感とでもいえばいいのだろうか。
その不定位感に、なにかが忍び寄る。なにかは、安堵感をともなっている。
おおいなる存在をも感じさせるもの、そんなものが存在するのかもしれない。
目には見えず、感じることができるだけのものだからこそ崇められ畏れられもした。

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「眩暈って高級な清楚さというのか、上品な女性への連想がわきますね。
そこから立ちなおるときには、必ずきっぱりとした決意がともなってる、そう感じるんです。
個人的な思いでしかないですけど…」
「ひとつの区切りを表すものなのかも知れないな。
連続的なゆるやかなものではなく、断続的で飛躍するんだよな。
エラン・ヴィタール、生命の躍動という表現もあったかな。
なにかを象徴している、そう思えてしかたがないのはぼくが若いせいかな」
「結節点とでもいうんでしょうか」
「でも人間て、実際はそんなふうには生きていないよな。
自分の日常というか、今朝のことなんか思い起こしてみればすぐにわかる。
現実に生きているときには、そんなことなんかなにほども意識しない。
いったい、どちらが人としての主要な生き方なんだろう、と考えるな。
生物、あるいは動物としてのヒトの生き方の本筋はどこにあるのかな。
宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』が人の自然な姿かな、とは思うんや。
と言いながらもやで、けっしてきっぱりとはメタの世界から決別できんのや。
それは、あたりまえの話やな。できないところが、人の所以でもある。
デカルトみたいになんでも二分法は無理がある。
こころと身体、もしくは意識と肉体というてもいいけど、分けることはできん。
そんなふうに議論していると、べつべつのものが存在するように思えてくるけど、
多分デカルトもそんなことは考えていなかった、と思うな。
思考の方法として、便宜的に理解するためにそういうことを言ってるんやろな。
科学も同じようなことやろ。
現実にはないような限定した条件下で成り立つことしかいわない。
けれど、これも最初の話にもどるけど、いつしか前提は忘れ去られてしまう。
これって人間の特性なんか、なんて思ってくるよな」
「でも、案外二分法的な考えを現実と思っている人って結構いますよ。
だから考え方も白か黒か、イエスかノーかなんですね。
おまけになんだか知らないけどけっこう自信満々で、嫌な奴って感じです。
こういう人は悩むことなんかないんだろうな」
「いや、そんなことはないと思うで。
けっこう、真剣に悩むと思うけどな。
だだし、悩む内容がぼくらとはちょっと違うんやろな」
「わあ、どんなことで悩むんでしょう」
「ぼくの想像というよりは空想やけど、恋愛についてならこんなふうかなと思う。
たとえば、私の今まさに進行しつつある恋愛は、私に幸せをもたらすものかどうか。
また、彼女は私のことを生涯の伴侶として正当に評価しているのかどうか。
さらに結婚したとして、子供の数は何人が社会的に適正なのだろうか。
などなどと、悩むというよりは疑問がふつふつと湧いてくるのではないのかな」
「そうですよね、ものごとにはすべて答えがあるって思いこんでいるんですよね。
学校の試験じゃあるまいし、そうじゃないことの方が多いってことに気づかない。
人生において答えのないことの方が断然多いのは、常識ですよね」
「常識というのか、そう考えるのが現実的だとは思うけど…。
でもな、答えがないと考えることは不安を呼び起こすのじゃないのかな。
だって、いままでそういうふうにやって来なかったんだから。
すべての問いには、たとえいますぐに答えが見つからなくても、必ず解が存在するんだ。
科学はそう考えて今まで発展してきたし、これからもその路線なんだろうな。
不遜とかそういうことではなしに、そうあって欲しいという願望が含まれているのかな。
しかし、哲学はそういう考え方とは違っていたんだ」
「哲学って、難しいようなことだと思っていたけど、そうじゃないんですね。
自分の生き方、ものの考え方の方向性といったことなんですね。
だから、人間であるかぎり誰でも哲学的でもあるわけなんですね」
「そうだな。つまりは、好むと好まざるとに関わらずに哲学している訳だ。
ヒトはそういう方向に進化きてしまった、ということかな。
ミーハーな連中だって、それはそれで哲学の枠内からは逃れられない、ともいえる。
哲学は、人間に許されたというよりは、人間であるが故の産物なんだろうな」
「哲学をなにもそう難しく考えることはないんですね。
誰だって、知らず知らずのうちに哲学的に生きているということですね。
哲学なんて、ということ自体が哲学的ということにもなるのかな」
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遠くに眺めるのも好きです。
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