ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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凹か凸か
地下の駅で電車を待っていたとき、ホームの向こう側の壁に注意がいった。
丸い形が上下左右きっちりとならんでデザインされている。
ひとつひとつに陰影があり、ちょっと見ると球体のようだがどう凹凸になっているのか平面かわからない。
球体はこちらにでっぱっているように見えたり、またしばらくながめているとへこんでいるようにも見える。
ヒトはただ描かれているように見るということが苦手で、なにか具体物や既知のものをみようとする。
いっとき流行した(?)顔面魚やはたまた心霊写真などはたいていそういう心理がはたらくのだろう。
つまりは見たいと思っていたり逆に見ることを怖れていると、見えたりするから不思議なものである。
同じものを見ていろんな解釈をしたりすることはよくあり、それが主題となった「羅生門」は有名である。
だから、おなじ問題について議論をしていると思っていても、すれ違うことは多々あるということになる。

4603凹凸

「警官殺し」 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 角川文庫 ★★★★
ストックホルム警視庁殺人課を舞台としたマルティン・ベック主任警視シリーズもあとひとつで完結だ。
ミステリとはいえ、スウェーデン社会をえがくことに主眼をおいているのは読んでいるとわかってくる。
北欧の高福祉国家というイメージを日本人なら思うだろうが、そう単純なものでないことはいうまでもない。
ミステリをはじめとして小説でえがかれる様子と、ニュースで伝えられるものとはしばしばくいちがう。
本作でついにきたかと思われるのは、ベックの同僚のコルベリが警察を辞めると決意することだ。
『この十年に暴力事犯が急増した大きな要因の一つは、
警官がいかなる場合にも武器を携帯していることではないか、と小生には思われます。
警察が悪例を示すとき暴力犯罪が激増するのは、
他の多くの国の統計が物語っているとおり、周知の事実であります。
とりわけこの数か月に起きた出来事は、その因果関係に関連して、
事態がますます悪化しつつあることを明白に示しているのではあるまいか。
それは特にストックホルムをはじめとする大都市において顕著のようです。』
銃をもつことに嫌悪をいだくコルベリの退職願いの文章は、筆者の思いでもあるのだろう。
銃によって銃を規制するという矛盾が社会にひろがっていくのは、アメリカをみればよくわかるはず(?)。
しかし、この興味あるベック・シリーズももう終わってしまうのかと思うとなんだか残念だ。

「恋と女の日本文学」 丸谷才一 講談社 ★★★★
本居宣長の和歌はどうしてあんなに下手だったのか、才のなさが凡庸ではなかった、と丸谷氏はいう。
さらに、その駄作ぞろいのなかでもひどいのがよりによって人口に膾炙することになったのは皮肉だと。
で、その有名は和歌はこれである。だれもが聞いたことがあるのではないか。

  敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花

これを丸谷氏はこう解釈するのである。
『「敷島のやまとごころ」の「敷島の」は取ってかまはない。
取ったあとの「やまとごころ」はもちろん「からごころ」と対をなすが、
この「やまとごころ」対「からごころ」は日本文学と中国文学といふこと。
……
宣長にとって「やまとごころ」とは結局『源氏』と『新古今』といふことだった。
……
そこで大意はかうなる。わたしも、すこしバカ丁寧に現代語に移します。
日本文学とは何かとよく訊かれるけれど、それは中国文学が、闇のなかで香りを放つだけで
ちつとも見えない夜の梅さながらに、恋をはつきり書かないのと違つて、
朝日を受けて色美しく映える桜の花のやうに明白に恋を書く文学なのさ。』
またこうも断じるところが丸谷氏らしい、といえるのではないか。
『われわれの文学史を貫通するこの女人崇拝、あるいはすくなくとも女性重視を、
在来の学者や批評家は軽んじて来ました。無視とまでは言はなくても、軽視と言ふことは充分にできる。
そのせいで日本文学史はずいぶん歪められたのではないか。
しかし、あの世界最初の大長篇小説を女の作家が書いた国の文学史を、
他の国の文学史の流儀で解釈しようとしても、うまくゆくはずはないのですね。』

「狂人日記」 色川武大 福武書店 ★★★
「狂人日記」といえば、まずゴーゴリが思いうかび、そして魯迅の作もあったなというところだろうか。
狂人と正常人のちがいはなんだろうか、いったいどこにあるのだろうかと考えてみることはよくある。
と、その線引きは意外に簡単ではないことがわかって、そのことにも驚いてしまうのだ。
時代が狂気に満ちているならば、その時代に生きる者は狂人にならざるをえないかもしれない。
だが、そうであるとしても狂気とはなにか、正気とはどうちがうのかという問題にまた悩むことになる。
そういうことを考えるのが、そもそも狂気への入り口に一歩足を踏み入れているのだというだろうか。
逆に狂人が正常で、平凡な市民が狂気におかされているなどというSFもあったのではないか。
『何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、
何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、
ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。』
主人公の独白が狂人とはいったいだれのことをいうのだろうか、と問いかけ続けているのである。
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遠くに眺めるのも好きです。
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