ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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リビングで読書
リビングで本を読んでいた。白いレースのカーテンがゆらいでいる。どこかでイヌが吠えているよう
だが、やがて静かになった。うららかな陽がさしてあたたかい。おやっ、あの鳴き声はと耳をそばだ
てる。どうやらメジロがやってきているようだ。そっとのぞくと木に吊るしたワイヤの籠のなかのミ
カンの実をついばんでいる。かれらは甘いものが好きだ。数羽が鳴きかわしながらミカンを食べてい
る。もうすこし暖かくなってくると山へ帰ってしまうのだろうな。いましばらく眺めていたくなる。
そこへうるさく鳴くヒヨドリがやってきた。たちまちメジロは四散する。おいおいヒヨドリはあっち
に行けよ、と追っぱらったがメジロはもどってはこない。そこで急にやるせなくなった。俺は差別主
義者なのか。メジロはかわいい。ヒヨドリはかわいくない。そんなことで差別していいのか。ヒトは
見た目で差別する動物なんだ。とくに故なくカブトムシではなくゴキブリを嫌うのがその証拠だ。

N7425二羽のメジロ

「赤の女王 性とヒトの進化」 マット・リドレー 長谷川眞里子訳 ハヤカワ文庫 ★★★★
生物学の分野では「赤の女王仮説」として知られるものがある。「鏡の国のアリス」のなかで、アリ
スが出会うあの女王のことである。赤の女王は走り続けるのだが、永遠におなじ場所にとどまってい
る。風景が彼女についてくるからだ、とされています。つまり、すべての進歩は相対的である、とい
う概念のことをいうです。この考え方は、進化の理論にますます大きな影響を与えるようになってき
ていると著者はいいます。
『速く走れば走るほど、世界はまた速度を増し、それだけ進歩は少なくなる。人生はチェスのトーナ
メントだ。ゲームに勝ったところでまた次のゲームに進まなければならない。しかも「駒落ち」とい
うハンディを負って。』
科学万能の昨今の世のなかだが、進歩が相対的となれば幸福も相対的なのか。という疑念もわいてく
る。絶対的真理などというものがあるのか。ニュートンの万有引力の原理が支配していた世界は、ア
インシュタインの相対性原理の宇宙にはいりこんでいった。物質の存在も、ハイゼンベルグの不確定
性原理によって確定できないものになる。さらにはニールス・ボーアらが提唱する量子論により確率
的なものになっていった。物質が確率的に存在するとはどういうことなのか、直感的には理解しがた
いのである。そんなことを思いながら本書を読みすすめていった。さて、リドレーは進化に関するこ
んな古いエピソードを紹介している。
『ある哲学者とその友人がクマに襲いかかられたときのことである。二人は一生懸命逃げたが、途中
で論理的思考をする友人がこう叫んだ。
「むだだ、しょせんクマより速く走るなんてできやしない」
 すると哲学者はこう答えたのだった。
「クマより速く走る必要などないのだ。ただ、君より速く走らなければならないだけだ」』
そうなのだチーターに攻撃されたカモシカは、チーターより速く走ることではなく、他のカモシカよ
り速く走れれば危機を脱出することができるということなのだ。進化とはそういうものなのだという。
ヒトの知性はなぜ進化したのか、脳はなぜおおきくなったのかもおなじではないのか。ケンブリッジ
大学の心理学者ニコラス・ハンフリーは次のような解答をだした。
『我々が知性を駆使するのは、実際的な問題を解決するためではなく、機知により他者を出し抜くた
めなのだ。人を欺くこと、他人の欺きを見破ること、人の動機を見抜くこと、狡猾に人を操ること。
これらのために知性は使われるのである。つまり重要なのは、どんなに賢いか、どんなに狡猾かでは
なく、どれだけ他人よりも賢く、狡猾かなのだ。知性の価値は無限である。同種内淘汰は、異種間淘
汰よりもはるかに重要なのである。』
なかなか興味深い説である。また、進化から道徳的結論を引き出すことはできないとリドレーは書く。
『「自然」だからといってそれが正しいことにはならない。類人猿が日常的に殺害を行い、人類の祖
先もそうであったという意味においては、殺人は「自然」である。偏見、憎悪、暴力、残虐。これら
はすべて我々の本性の一部なのである。そしてしかるべき教育によってこれに逆らうことはできるの
だ。本性は柔軟性に欠けているわけではなく、融通がきくのである。さらに、進化に関して最も自然
なことは、ある種の本性は他の本性と敵対するということである。進化の行きつく先はユートピアで
はない。ある男にとって最善の状況は、他の男にとって最悪の状況、ある女にとって最善の状況は、
ある男にとって最悪の状況という事態に導くのだ。どちらかが「不自然」な運命を余儀なくされるの
である。これが赤の女王のメッセージの核心である。』
本書は文庫ながら、本文だけで545ページもある。すべてを紹介することはできない。いたるとこ
ろになるほどといえる知見がある。根気のある方には是非ご一読をおすすめする。読んでおもしろか
った、と思えるのではないか。

「「婚活」時代」 山田昌弘 白河桃子 ディスカヴァー・トゥエンティワン ★★★★
パラサイトシングルということばを山田氏の著書で知ったときの驚きはいまでも覚えている。あれか
らどれくらい経ったのだろうか。いま日本では「就活」とも密接に関係する「婚活」が話題だ。これ
らをどう考えればいいのだろうか。「規制緩和」によって、就職活動を積極的にする、いやしなけれ
ばならない時代に変化していった。山田氏はこういう。
『では、もう一方の結婚はどうかというと、状況は同じです。男女交際に関する規制緩和が起きたが
ゆえに、自動的に結婚できない時代が出現しています。つまり、個人が、意識的に結婚活動を行わな
いと、よい結婚相手どころか、結婚自体をすることがむずかしい時代に突入しているのです。』
職場結婚やお見合いではなく、恋愛結婚があるべき結婚だという時代感覚もあったのでしょう。だか
ら結婚適齢期ということばもある意味、否定的な含みをもってきていたのです。
『結婚年齢が多様化しているとか、結婚しない人が増えているというと、一般には、自分の意志でそ
うしている人が増えたからだと思われがちですが、実際には、まったく逆です。結婚年齢がばらつく
ことにより、逆に、自分の思ったタイミングで結婚できるとは限らなくなってくるのです。就職にし
ろ結婚しろ、自由化が起これば思いどおりにならなくなる、というパラドクスです。』
うーん、ちょっと学者っぽい発言だな。それに比して白河さんはどうみているのか。女性にとって、
結婚とはしなければならないものではなくなってきている、という。
『つまり、依存型、自立型、どちらのタイプの女性たちにとっても、結婚がかつてのような生活必需
品ではなくなってきていること、それが根底にある要因だと思います。生活必需品ではなくて嗜好品。
だから、自分の嗜好に合わない結婚ならしたくない、というのが、本音でしょう。』
女性経験のない男ほど女性に対する要求水準が高い、とくにビジュアル面でと白河さんはおっしゃる。
まあ、ひとことでいえば身の程知らず。よくいえば、それだけうぶなのだ。しかし、男のうぶはどう
しようもない。だから売れ残る。もちろん、女性陣も結婚の条件にこだわりはある。
『たしかに、女性の「経済力へのこだわり」に相当するものが、男性の「外見と年齢」へのこだわり
なのでしょう。けれども、女性のこだわりは現実に立脚したものであるのに対して、男性のこだわり
はファンタジーだと思います。』
ファンタジーを求める男。つまり、おたくだ。だから、現実をわきまえてそれなりの社会でのポジシ
ョンを確立している男はある意味そういう女性に幻滅する。だから、なかなか結婚に対する腰をあげ
ない。そいう男が独身で一人いると、最低五人の女性が引きずられてしまうのだ。そして婚期を逃す。
『「結婚しない男」には婚活は必要ありません。必要なのは、流される勇気だけです。それをもてば
すぐに結婚できます。婚活が必要なのは、男磨きしないと「入り口すら入れない人」「声をかけられ
ない人」です。女性の目線の範囲内にとまるように男を磨き、傷つくことを恐れぬ勇気をもつことが、
彼らの婚活です。』
こうしてミスマッチが重なって、結婚しない結婚できない男女があふれてくる、のだそうだ。そうい
うことなんですかね。なるほど、ね。って他人事ですが、むずかしいものなのですね。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

スキー場で読書
バスの添乗のバイトでスキー場に行った。夜行のバスで途中チェーンの装着などあった。着いた所は
湯田中だった。路線バスならワンマンも可能だが、観光バスはそうもいかない。法律でふたり以上の
乗務が義務づけられていた。で宿に着くと帰路まではなにもすることがない。運転手さんたちはのん
びり温泉三昧である。スキーをしてきてもいいぞといわれたが、そんな気はなかった。宿にいてもす
ることもなく退屈なのでスキー場まで歩いて行った。ゲレンデが見わたせるロッジの食堂でビールを
頼んだ。雪の白さがまぶしい。若者たちはワイワイと楽しそうだ。おれだって若者なんだけどな、と
その感想に思わず苦笑いがでた。美味くもない焼そばを食いつつ本を読んでいた。かたわらを通りす
ぎる女性は怪訝な表情である。この人なに、という視線だったのだろう。旅館への帰り道、まわりの
連中の見よう見まねでスノーシューズで滑ってみた。スイスイとはいかないが存外に楽しかった。

N8840雪中電車

「ことわざの知恵」 岩波書店辞書編集部編 岩波新書 ★★★
ふとしたときにそうだよなと思わされることわざがある。しかし、あれってどういうことなんだろう
というのもある。たとえば「人を呪わば穴二つ」、でこの穴二つってどういう意味があるのか。人に
禍が降りかかるようにと呪うようなことをすると罰を受けますよ、という戒めがこめられていること
わざだとは分かる。だがこの「穴二つ」がいまいちわかっていなかった。
『省略しない形では「人を呪わば穴二つ掘れ」。なぜかといえば、呪った相手が葬られる穴と、自分
自身が葬られる穴と二つ必要になるからだ。
 のろい殺すからには、自分も命を失うことを承知せよ、あだやおろそかに人を呪ってはならぬぞ、
という教え。』
なるほど、その覚悟もないのに人を呪うものではない。ということですね。「ごまめの歯ぎしり」と
いうことわざも、力のない者がいたずらに憤慨するという意味だ。この「ごまめ」とは小さな片口鰯
のことだが、なんだか腑に落ちない。ちょっと「ごまめ」をあなどっている感がぬぐえない。
『ごまめは、田の肥料にすれば四万俵だった収穫が五万俵にもなるということで「五万米」と当て、
「田作り」とも呼ばれる。また、「まめ」は、誠実・達者の意味の「まめ」からきているという語源
説もあり、お節料理に使われるのはこれらの縁起による。
 ことわざの世界では、これといい、「ごまめの魚交じり」といい、縁起のよい方は切り捨てられ、
取るに足りないものの代名詞的な扱いを受けている。』
イワシ好きな者としては、すこし溜飲をさげるのだ。ことわざには西洋由来のものもおおい。「目か
ら鱗が落ちる」などは代表的なものだろうか。「新約聖書」使徒行伝からきていることは「広辞苑」
にも載っている。だがこの鱗、魚だとするとなんだか辻褄があわない。
『キリスト教を迫害していたサウロ(パウロ)は、その罪で失明する。イエスはその目を元に戻すべ
く弟子を彼のもとに遣わす。弟子が彼の体に触れると、「目から鱗のようなものが落ちて」再び目が
見えるようになったという話。
 蛇は脱皮の際には鱗を落とすが、目も例外ではない。蛇のごとくに邪悪な男サウロ、ということで
「鱗」が想定されたのであろうという。』
なるほどね、蛇の鱗でしたか。しかし、蛇が邪悪というのにはちょっと納得がいかないのである。

「妻と罰」 土屋賢二 文藝春秋 ★★★
週刊文春の連載コラム「ツチヤの口車」の書籍化されたもの。相変わらず独特の切り口をみせている。
あきらめる方法についてである。なかなかためになる、かもしれない。
『打つ手のない状況に陥ったとき、打つ手は二つある。一つはあきらめる、もう一つはあきらめない、
だ。
 今では、「あきらめるな」と叫ばれることが多いが、古来、日本人はあきらめの中に美を感じとり、
あきらめようとしない人間を軽蔑していた(と聞いた)。
 わたし自身、これまで、あきらめの境地を目指し、多くをあきらめてきた。大ピアニストになる、
詩人になる、日記をつける、妻の性格を変える、豪邸に住む、車庫入れするなど、あきらめたことは
数え切れない。
 しかし残念ながら、あきらめきれないことも多い。大富豪になる、天使のような女と出会う、一人
静かに暮らすなど、あきらめきれないでいる。あまりにもあきらめが悪いので、今では、あきらめの
境地に到達することをあきらめている。』
あきらめる方法の一つ「どうせの方法」の考察もおもしろい。「どうせ……だから」という論法を使
ってあきらめる方法なのだが、それには説得力に欠けるものも多い。
『説得力があるのは、余命一年よ宣告された人が、「どうせ一年しか生きられないんだ。だから金を
貯めても無駄になるだけだ」と思って並寿司を上寿司にするような場合である。ただし、これを拡張
して「どうせあと五十年も生きられないんだ。節約するのは無意味だ」と考えて豪遊すると、取り返
しのつかない結果になる恐れがある。また仮定法を使って「どうせ明日交通事故で死ぬかもしれない
んだから、今日のうちに金を使い切ってしまおう」と考えるのも危ない。
 そもそも「どうせ」と言っても本気であきらめていないことが多い。無駄に金を使った人が「どう
せ死んだら無一文だ」と言っても、あきらめきれているわけではない。ためしに「それなら、金はい
らないよね」と言って金を巻き上げようとしてみれば、抵抗するはずだ。』
あきらめるのもなかなかむずかしい問題あり、なのだ。
『わたしがよく使うのは、「どうせ一週間後にはまた散らかるのだ。今日片づけ物をしても無駄にな
る」「どうせこの建物は百年後には取り壊されているのだ。本を整理するのは無駄だ」「どうせ地球
の寿命はあと千億年もない。だから棚を直す意味がない」「どうせ金は妻にとられてしまうんだ。使
ってしまえ。使うと怒られるが、どうせ怒られるなら、一万円使ってやれ」などだ。
 今、妻が「いい加減、そこにある本を片づけてよ!」と叫んだ。つい先日、「どうせいくら言って
も片づけないんだから」と言ったばかりではないか。あきらめの悪い女だ。』
こうしてツチヤ家の日々はすぎていく、のだろうか。しかし一抹の真理はあると思うのだが、分かる
人には分からない人のことが分かりようもなかったりする。


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ディスコで読書
あるとき友人からひまかと電話があった。ひまだよと答えた。ディスコの仕事しないか。想像もつか
なくてなにをするんだよと聞いた。サラまわしだね。なにそれ。ごめん、レコードをかけるってこと。
なんとなく理解できたことは、ディスコでレコードをかけてさえいればそこのお酒は自由に飲んでも
いいという条件だ。だいじょうぶなのかと言うと、酒屋の経営だから問題なし。よし、のった。とい
うことで栂池スキー場まででかけた。ディスコは地下にあった。やってくるのはスキー客の若者ばか
り。最初はうるさいと思っていたディスコ音楽も耳が慣れてくる。もっとボリュームを上げようかと
思ったら最大なんてこともあった。飲み放題だといわれた酒もそんなに飲めるものではない。レコー
ドの入れ替えもあるし、酔っ払うわけにはいかない。いまでも憶えているのは「ジンギスカン」とい
う曲だ。読書でもできるかと思ったが、まったくあてが外れたディスコ勤務の一週間であったのだ。

N8843雪と樹木

「生徒たちには言えないこと 教師の矜持とは何か?」 諏訪哲二 中公新書ラクレ ★★★★
いまの日本ではだれもが学齢に達すると学校へ行く。学校はなにを子どもたちに教えるのか。長年教
師をしてきた筆者は、学校は「真実」を教える場ではないという。これはなにを意味するのか。
『学校では近代社会において公認されていることしか教えられない。人間は合理的であり、理性的で
なければならないと教える。だから、いつも自己の信じる「真実」を語りたい人は教師には成らない
ほうがいい。学校で語る「真実」は「建前」に包んで教えるしかない。あるいは、どんなに自己の信
じる「真実」を語っても、学校という場では「建前」として受け止められる。』
「真実」は「こうある」であり、「建前」というと「こうあるべき」ということだ。「こうありなさ
いよ」というのが教育である。「こうあるすがた」を子どもたちに語っても子どもたちはどうすれば
いいのか混乱を起こすだけかもしれない、と彼はいう。「真実」と「建前」の話をこう書いている。
『たとえば、「人間は平等である」という考えは現在日本では自明のこととされている。私が子ども
の頃である昭和二十年代には、平等といえば男女平等の「建前」のことであり、いま以上に男女差別
は厳然と残っていた。この考えは近代の中核を成すし、キンキラキンの絶対の「真実」であるように
も思われるが、世界や日本の「現実」を見渡せば、事実を表してている「現実」ではありえない。差
別や格差や抑圧や虐待などがあらゆるところに存在し、近代の「建前」ではあるが、「現実」や「真
実」でないことは明白である。』
教師と学者はどう違うのかというところでこうも書いている。
『どこかで「教師は学者の成り損ないだ」と述べていた評論家がいたが、そんなことはない。教師は
学者の研究したこと(「真理」「真実」)を薄めて生徒に伝えるのではない。生徒の「現実」に合う
ように、学校の「現実」に沿うように「建前」化して教えるのである。』
先生は大変な職業だと思う。しかし大変だからこそと考える方たちもいるのだろう。大変だからとい
って投げだしていてはなにもできない、という気持ちで頑張っておられるのだろう。しかし、いい教
師とはどのような先生のことをいうのでしょう。
『観察力のすぐれた人、あるいは、とてつもなく善良な人がいい教師とは限らない。私は昔から「い
い人、必ずしもいい教師ならず」と言っている。善意の人は生徒に学校生活という枠をかぶせること
が苦手で、かえって、生徒を不安定にさせてしまうことも多い。学校の教師と生徒という公的な「建
前」的なものとして向き合っているのに、どこかで一対一の人間関係の「真実」にいるような錯覚を
するからである。これはどんな教師も陥り易い落とし穴である。』
これはふつうの会社員でもある。取引関係ではどうしても主従的な関係になることがある。とくに大
企業ともなればその力はおおきい。しかしそれは企業の力であって、その担当者の実力ではないこと
が多々ある。だが自分の実力と勘違いする輩がいて退職後も引きずって嫌われ嗤われることがある。
教育などは物理学や化学とちがって、なにが正しいか実験することができない。実験の条件を整える
ことすら困難であるだろう。実験的授業は可能だろうが、あくまで実験的で普遍にはならない。
『現在行われている教育を否定することで、本当の教育であることが保証されるわけではない。本当
の教育など誰にもわからない。本当の教育を考えること自体がひとつの症状であり、ましてや本当の
教育がわかっていると考えるということはひとつの病状である。』
それでも現場では日々教育が行われているわけであり、試行錯誤、ケースバイケースなのでしょう。
謙虚でありながら自信にもみちた態度が必要で、真面目な教師ほど病みそうな気がしてくる。おまけ
に学校教育と経済活動をごっちゃにしてクレームをつけてくる親などいて察するに余りあるのだ。

「健康の味」 南伸坊 白水社 ★★★★
健康は幸福とおなじで、健康なときや幸福なときには考えないものらしい。しかし、年をとってくる
と必然的(?)にいろんなところに不具合、損なわれ感がでてくるものである。
『健康の味は、健康の時には味わえず、
 健康の損なわれた時にはじめて味わえる。』
という逆説的なものなのである。そこで病院にいったり、健康法を試したり、種々行動したりしなか
ったりすることになった次第を伸坊流の文章で読ませてくれるわけだ。そうだよな、と思いつつ気楽
に、あるときは真剣に読みすすめる。
『現在のいわゆる解熱消炎鎮痛剤は、どんどん強力なものが開発されていて、驚くほど作用が強いの
だそうだ。この抗炎症薬を、長期間連用すると、体がいちじるしく冷えてしまうらしい。
 なぜかというと、こういった薬は血流をとめることで消炎しているからなのだそうだ。解熱消炎鎮
痛は、すべて同じ働きで解決する。つまり血流をとめることで消炎し、血流をとめることで解熱し、
血流をとめることで解熱しているのだった。
 炎症が起こるのも、発熱するのも、痛みを感じるのも、実はからだが治癒反応を起こしているのだ
が、消炎鎮痛剤というのは患者の不快をとりのぞくことに主眼を置いているのであって、そもそもの
原因である病気のおおもとをとりのぞくようには働かず、結果かえって治癒のジャマをしている、と
いうのだった。』
こういうことを知るのはおもしろい。伸坊氏もそう感じ薬をやめたのだった。それにストレスもいけ
ないよなあ、などと考えるのだった。
『病気に不安やストレスや気のせいは、ものすごくイケナイ。と私は思う。医学は、本来なら、いつ
のまにか治ってしまったような病気を、細かく調べ上げたり、正確に数値を出したり、悲観的な予測
をたてたりすることで、確実な、立派な病気へと推し進めていると私は思う。
 病気になるのは、自分の責任である。それで病気を治すのも、自分の力である。』
そのためにもいろいろと知らなければならない。そこも自己責任だ。冷水浴や冷水摩擦などをやる。
効いていると思えば効いているようだし、効いていないといえば効いていないのかなあと頼りない。
また、ねじり体操なる「ウエストをしぼって腹筋を鍛える体操」もはじめる始末だ。しかし「ガン疑
惑」などあり、やせているのはガンのせいかもと思うとイヤになってやめてしまう。世のなかはダイ
エットばやりだが、こんなダイエットもありますよと推奨(?)してくれている。
『「クヨクヨダイエット」というのは、私の先生の赤瀬川源平さんが提唱しているダイエット法であ
る。まだ本にはなっていない。
 みんな、やせたいというけれども、やせるのなんてカンタンだ。クヨクヨ悩めばいいので、クヨク
ヨするだけで、食事はいつも通り、体操なんかしなくたって、やせられる。というダイエット法であ
る。』
これはいいかもしれない(笑)。しかし、知らず知らずのうちに実践しているなんてことがあるかも
しれませんよ。若い人には、失恋ダイエットもいいんじゃないかな。やせるは気から、っていうから。


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温泉場で読書
日本アルプスのふもとあたりには温泉場がたくさんある。ちいさなものからおおきな旅館のような普
請のものまでさまざまである。その温泉場は広い休憩室のようなものを備えていた。湯上りにひと息
ついて軽い食事などもできるようになっている。登山客のなかに地元の方もまじっていた。旅行者で
あるわたしは湯でほてった身体を横たえていた。リュックを枕に本を読んでいると、若い女性の声が
聞こえてきた。ほう、こんなところにも女性がくるんだなと思いつつそのまま本を読んでいた。その
とき突然視界のなかに、にっこりと笑う女性があらわれた。だれだろう、知っている人なのかな。思
いあたるような記憶はよみがえらない。「ムッシュ、わたしのこと忘れたの」がばっと起きあがった
ら誰もいなかった。まわりを見回すが姿はない。あれっ、夢でも見ていたのか。そのときテレビから
歌声が流れてきた。♪ あなたお願いよ 席を立たないで 息がかかるほど そばにいてほしい

N8829メタセコイア並木

「近代日本の陽明学」 小島毅 講談社選書メチエ ★★★★
「武士は本来、天皇陛下の番犬としてお仕えするもの」という使命感を根底にもつ「靖国史観」とは
どういうものなのか。その論理とはなにか。小島氏はいきなりこう書く。
『天皇につきしたがった者のみが正しいとする、戊辰戦争のなかで確立したこの独善的な論理は、先
述した藤田東湖が本職として関わった『大日本史』のものであり、それに先立って大流行した頼山陽
『日本外史』の論旨である。そして、動機が正しい「大義」の戦いであったことだけを根拠に、いま
だに「聖戦」を称揚し、「なぜ負けたのか」を問おうとしないその思考停止ぶりは、水戸学の大義名
分論と日本陽明学の純粋動機主義とが結合した産物なのだ。本書はそのことを論証していく。
 だが、それによってわたしが読者諸賢に問いたいのは、単なる靖国問題ではない。そもそも、人々
がみなで共有できる「歴史認識」などというものが存在しうるのかという、きわめて原理的な問いで
ある。わたしの語る「近代日本の陽明学」は、あくまでわたしの物語であり、あなたにはあなたの、
こなたにはこなたの、「近代日本の陽明学」がありうるだろう。無限の相対主義に陥るやもしれない
この泥沼でもがき苦しむことなしには、「近隣諸国との友好」などあり得ない。反・陽明学的心性を
持つわたしからの、これはみなさんへの挑戦状である。』
中韓がなにかにつけていう正しい歴史認識ってなんなんだろう。歴史認識に正しいとか正しくないと
かがあるとは知らなかった。正しいなんとかといわれると、そうなのかと思ってしまう人がたしかに
いる、と正しく認識しているのだろうと想像するのだが。歴史は物理とか数学とはちがう。思想・主
義・宗教に近い。立場がちがえば認識が変わるというものだろうと思う。それはさておき、中国には
紀元前孔子を祖として儒教が興った。その後キリスト教とおなじようにいろいろな派が生まれた。そ
のなかでも有名なのは朱熹のとなえた朱子学だ。それを批判するかたちででてきたのが陽明学である。
ただこの陽明学はふつうの教義とはひと味ちがっている。なにかひたむきな感じがする。
『陽明学者は陽明学を師匠から伝授される必要がない、と。中国でも日本でも(少数だが朝鮮でも)、
高名な陽明学者は朱子学の学習によって陽明学者になる。教祖・王守仁(陽明)にしてからがそうで
ある。彼は熱心に朱子学を学び、その精神を実践しようとし、挫折し、悩み、そして悟った。「理を
心の外に求める朱子学のやり方は根本的に間違っている。理とはわが心のはたらきにほかならないの
だ」と『青い鳥』の寓話にも似たこの悟りによって、陽明学的心性を持つ後世の者たちも、晴れて陽
明学者になることができるようになる。』
武士の倫理には儒教のそれも朱子学の影が強く感じられる。だがやがてそこに陽明学が伝わる。そし
て幕末の維新運動におおきな影響をおよぼした。ただいえることは次のことだ。
『彼らが置かれた時代背景の中で、生活指針となりうる過去の思想的遺産であった。それは「彼らの
陽明学」であった。ここでわたしに言えることは、「彼らの陽明学は、王陽明の陽明学ではない」と
いうことだけである。』
ただ陽明学そのものはこれといった定形をもたないので、まだ理解には遠いのかなという気がする。

「人生はマナーでできている」 高橋秀実 集英社 ★★★★
高橋氏の著書はおもしろい。わたしなど不謹慎とそしられそうなぐらいに読みながら笑ってしまうの
である。そしてしばらくして、すこし物悲しくなる。第7章結婚するつもり? などはことにそうだ。
社会学者がいいだした「婚活」は、後ずさりするように様々な「〇活」を生み出しているという。
『そういえばある未婚女性もこう言っていた。
「いい人がいれば結婚してもいい」
 これも「いい」が重複している。「いい人」とは「結婚してもいい」人のことだからこの文章は何
も語っていない。譬えるなら「おいしいものがあれば食べてもいい」というのと同じ。おいしいかど
うかは食べてみなければわからないし、おいしさを感じるのはあなた自身であって普遍的に「おいし
いもの」があるわけではない。』
結婚相談室のこの道21年になるベテラン仲人はこう語るのだそうだ。
『「女性は相手に対して『どこか頼りない』『物足りない』と必ず言うんです。そんなもん、全員頼
りなくて物足りないですよ。物足りないから残っているんだし。そもそも男は物足りないぐらいがち
ょうどいいんですよ。物足りるとうるさいでしょ」
――おっしゃる通りだと思います。
 私は同意した。物足りないから文句も言えるのだ。しかしこれは結婚生活をしばらく送ってみなけ
ればわからない境地で、「実際はどのようにアドバイスされるのですか」とたずねてみると、彼女は
即答した。
「この人を逃がしたら一生の不覚! これを逃したら孤独死!」
 ほとんど脅しだが、それくらいでないと目が覚めないそうだ。
「『誰と結婚しても同じよ』とも言いますね」
――同じ、なんですか……。
「要するに、相手の問題じゃないということです。相手が変わればまた別の問題が出てくるわけです
から、相手のせいにするんじゃなく自分の問題として考えなさい、と言いたいんです」
――「自分から好きになれない」「ビビッとこない」と言う人もいるんじゃないでしょうか?
 これは婚活中の義弟の口癖でもあった。
「やっぱり、相手にボーッとなれる人はしあわせですね。結婚は多少は頭がおかしくないとできない
決断ですもん。本当に一瞬でもいいんです。後になって、なんでこんなバカと結婚したんだろうと思
ったりしますが、その一瞬があればいい。それにすがりついて一生いけたりするんですね、これが」
 魅力とは相手が持っているものではなく、自分が感じるもの。感性というよりひとつの能力なのか
もしれない。』
どこか他人事ではものごとは進まない、というのはなにごとでも同じである。歴史的に日本は母系社
会といわれいたのではなかったか。女性が主導権を握らないでどうするのか。
『振り返ってみれば、日本人の結婚は平安時代まで「婿入婚」、つまり男が女性の家に婿入する形だ
った。『竹取物語』のように男たちが求婚し、女性、ならびに女性の両親が決める。最終的判断は女
性側が下すのだ。母系制の名残りなどともいわれるが、人類の歴史としてはそちらのほうが長いし、
卵子が精子を選ぶようにこれは生物学的にも正しいような気がする。ちなみに古来、婚姻関係のこと
を「めおと」と呼ぶが、これもかつては「女夫」と書いていた。「め」は女性なので自然な漢字表記
なのだが、明治時代に夫を先にして「夫婦」と書き換えられたのである。「とつぐ」も然り。「嫁ぐ」
などとまるで嫁入りを表しているようだが、これはもともと「と継ぐ」。「と(性器/ほと)」をつ
なぐセックス、あるいは「と(戸)」を継ぐということで家を継承することを意味しており、本来、
性別は関係ない。漢字をすり替えることで、女性は受け身だと洗脳されてきたのである。それを真に
受けるとおそらく女性は結婚できない。受け身もまた演出にすぎず、受け身と見せかけて男を落とす。
受け身で待つのではなく、受け身で迫るのだ。』
いまだ結婚したいと思いつつそこに至らない女性にエールを送りたい。あっ、ついでではありますが
男性にも。結婚しないで後悔するより、結婚して後悔するほうがいい。のじゃないかと思うけど。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

こたつで読書
いまのように部屋を暖めるということがなかった。部屋の真ん中にやぐら炬燵がでんとある。寒い寒
いと言いながら、本をもってこたつにはいる。背中がさむいので綿入れのちゃんちゃんこを着てる。
冬の定番といえばみかんだ。食べ方には個性がでる。わたしはいつもきれいに皮をむいてスジもこす
るようにとってこたつ上にならべていく。一直線に並べなくてはならない。すべてきれいにならべ終
わったら、はじめて食べてよし。ひとりならこれでいい。しかし他人とおなじだとそうもいかない。
だから、みかんを食べてもいつもどおりではないから落ち着かない。食べた気がしない。ルーティン
がちがうからだ。ごろんと仰向けになって高く本を掲げる。読んでいるうちに眠くなってくる。これ
はいかんと思って、天井をながめる。シミのような模様がひろがっている。それが人のようにも動物
のようにも見えてくる。バタンと本を落とした音でめがさめる。いつのまにか眠っていたようだ。

N8687島猫

「塀の中の懲りない面々」 安部譲二 文藝春秋 ★★★★
いっときテレビなどにも出ておられましたね。その頃、ベストセラーになったのが本書です。ふと読
んでみようかなと思いついたのです。なかなか素朴さが感じられる文章で好感がもてました。この「
塀の中」というのはもちろん刑務所のことなのですが、いまではふつうに通用する言い回しです。こ
の本が初出なのかもしれません。ふつうとはちがうエピソードなどに興味がわきます。
『警察の留置所は小学校、未決の拘置所が中学校、そして初犯刑務所は高等学校で、再犯刑務所は大
学だ、というのは、昔からよく耳にした暗黒街のざれ言です。
 長く語り伝えられた言葉には、ざれ言にも、それなりの真理が秘められていました。
 懲役も、この大学まで進めば、もうそれからは、その専門分野でズーッと生きて行くことになりま
す。』
ひと言に更正するというが、現実はなかなかむずかしいことなのでしょう。しかし刑務所に入る犯罪
者ばかりが悪人ということになるかというと、世のなかそう単純ではない。
『健康保険をくすねる医者や、助成金を懐に入れる私学の理事長なんか、代議士先生と同じで、お上
の金を盗るから無事なので、民間の街の金を盗ると、それがどうでもいいような種類の金でも、検事
や裁判官は途端にエンジンがかかって、驚くほどマメで気前のいい仕事をするのだそうです。』
十四歳でぐれ、十六歳で家を出て、渋谷の安藤昇の児分の舎弟になったという安部さんである。府中
刑務所にはいろんな犯罪者がいて、ニセ医者もいた。だが彼は腕がよかったという。あるとき見学者
の一団がやってきて作業中の彼を見るなり、こう問いかけた。
『「ア、貴方はもしや西畑先生……。大学の外科の医局におられた」
 と叫ぶように言ったのです。ドク・西畑は手を止めて、ちょっと老眼鏡をずらすと、
「ああ、それは兄でしょう。先日下手な内科にかかって死にました」
 ウムを言わさぬ慣れた台詞でした。』
しかし刑務所生活は楽ではない。
『刑務所の冬は地獄です。
 これまでの長い無頼な暮しで、それはさんざんな目に会い続けた私ですが、冬の刑務所ほどの非道
い辛さは、覚えがないのです。
 府中刑務所の舎房には、暖房はおろか火の気もないので、工場で働かされる日はともかく、免業の
日曜日や祝日だと一日中閉じ込められたままですから、お陽様まで免業なんてことになれば、懲役た
ちはもう冷蔵庫の中に入れられてしまったのと同じでした。
 舎房の中の熱源は、懲役たちの体温だけという、これは原始の世界だったのです。』
現在の刑務所はどうなっているのでしょうかね。

「辞書の仕事」 増井元 岩波新書 ★★★★
ふだんなにげなく辞書をひく。そして人は辞書はどのようにして作られているのか、というようなこ
とをあまり考えない。だが、ときに考えることもある。そんなとき本書にであった。辞書というより
言葉に興味がある。どうしてこういった言葉が生まれてきたのか。言葉の意味はどのようにして時代
とともに変遷していくのか。若いころに見坊豪紀さんの「ことばのくずかご」という本が好きで、よ
く読んでいた。いまの書棚にそのシリーズ本が五冊ある。そして本書の冒頭のほうにこう書かれてい
た。すこし長いし孫引きになりますが、ご紹介しましょう。
『辞書を作る仕事にたずさわっていた期間、辞書をどのようなものとして考えるかについて、いつも
私の念頭にあったのは見坊豪紀さんの辞書観でした。見坊先生に直接お目にかかったことは一度もあ
りませんでしたが、先生が語られ書かれた、辞書に対する熱い思いは、辞書作りにかかわる者が知ら
ずに済ますことができるものではありません。その数々の示唆に富む考察の中で、私にとってもっと
も直截的で分かりやすいのは、「辞書“かがみ”論」という先生の一貫した辞書論です。それを、先
生が編集主幹をされた『三省堂国語辞典』第三版(一九八二年刊)の序文から引いてみましょう。
  辞書は“かがみ”である――これは、著者の変わらぬ信条であります。
  辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、
  辞書はことばを正す“鑑”であります。
  “鏡”と“鑑”の両面のどちらに重きを置くか、どう取り合わせるか、それは辞書の性格によっ
  さまざまでありましょう。ただ、時代のことばと連動する性格を持つ小型国語辞書としては、こ
  とばの変化した部分については“鏡”としてすばやく写し出すべきだと考えます。“鑑”として
  どう扱うかは、写し出したものを処理する段階で判断すべき問題でありましょう。
  そのことばを見出しに立てる、ということがまず大切です。』
ことばの意味は変化するものである。その契機が誤用とか書き違いということもある。そこでいつも
思いだすことばがある。「あたりまえ」。これは漢語ならば当然ということ。トウゼンを聞いて、当
前と書く。これを読み下せば、当たり前となる。さて、ことばはむずかしい。
『ことばについて、こうなくてはならぬという一つだけの正解がないと同時に、絶対的な間違いとい
うことも非常に少ないものです。ことばはそんなやわなものではない。ある制約がありながらも、そ
の中で自由にできる余地のことを、「遊び」とか「はば」とか言うことがあります。ことばには「は
ば」があるのです。』
これを困難なことと感じるか、おもしろいと考えるかで人生の道は分岐するでしょう。増井氏は後者
を選んだということになる。
『国語辞典の担当になって間もない頃、日本語学が専門の友人に教えてもらったことがあります。こ
とばの意味には二通りあって、一つは文脈によって生じる意味、もう一つは文脈に依存しない、場面
から自由な意味で、辞典に記述されるべき意味とは後者の自由な意味の方だ、ということです。』
ことばをことばで説明するという仕事は、そう簡単ではないということが実感できる。また辞書のサ
イズの問題も興味深かった。読んで「目が点になる」ことがあるかもしれませんよ。


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島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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