ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ふたりで読書
公共図書館のおおきなテーブルに向かいあってすわる。おたがいに自分の好きな本を選んできていた。
静かだなあ。家とは全然ちがっている。まわりを見回す。みんないかにも真剣そうな顔して本を読ん
でいた。そのとき向かいの席のあいつと眼があった。おたがいにすこし笑う。声は出さないように気
をつけた。あいつもぼくとおなじなんだ。ちょっと落ち着かないのだと気づく。ぼくはとくに勉強が
好きではない。本を読むのは、まあ好きだ。でも彼のように小説は読まない。図鑑や理科の本がおも
しろい。本のなかにでてくる実験を頭のなかで想像する。ぼくはいつのまにか白い上着の科学者にな
っている。フラスコからは白い煙だか蒸気だかが立ちのぼる。助手に指示をだす。ポワロのように生
やした髭の先をつまんではなす。すこし考えるしぐさも必要だろう。なにを合成しているのか。そん
なことはどうでもいいだろう。地球の存亡がわたしの肩にかかっているのだ。彼もかすかに頷いた。

N9545シュウメイギク

「鳥類学者無謀にも恐竜を語る」 川上和人 技術評論社 ★★★★
鳥の祖先は恐竜だということはおぼろげに記憶している。ということで、鳥類学者が恐竜学者を名乗
ってなんの不都合があるのだろうか、となるロジックだ。なかなか目を引く書名だと思う。敏腕編集
者のなせるわざなんだろうか。それとも著者が自身でつけたのか。興味がわく。
『恐竜化石が歴史に現れるのは、1824年のことである。世界ではじめて学名が与えられた恐竜は、
メガロサウルスだ。ただし、この時点ではまだ、巨大な爬虫類という認識であり、恐竜という概念は
成立していなかった。メガロサウルスとは、「巨大なトカゲ」という意味である。』
イギリスのストーンズフィールドで見つかったのが最初だ。しかし恐竜にも分類があるんだろうなと
は予想もする。読んでいくうちにそれもわかってくるだろう。男子は恐竜が好きだ。子どもたちも恐
竜や怪獣が好きだ。よって男はみんな子どもだ、とはならない。読んでいるといろいろと知らなかっ
たり忘れていたことがでてくる。こういう視点があったのか、なるほどなと。しかし進化をどう考え
るかでその意味はちがってもくるのだ。恐竜から鳥へと進化したのだが。
『ここで、敬意をこめて今までの認識を改めたい。鳥は「歯を失った」「腕を失った「尾を失った」
のではない。空を飛ぶために、むしろ「歯や腕、尾を捨てた」と表現されるべきである。鳥の体には、
進化の歴史がぎゅうぎゅうにつまっている。』
ときおり滑りこんでくるユーモアもいい。小島毅氏ばりのゴーイングマイウェイ的な文章がわたしに
は笑えるのだ。本は読んでおもしろいのが一番だ。小難しいと感じる本は論旨が不明確なものが多か
ったりするものだ。論理的と空想的は対立するのかな、などと考えた。「空想から科学へ」などとい
う本もあったしな。論理は必ずしも積み上げ方式でなされるわけではないということはいろんな方が
おっしゃっている。創造性は想像も含んでいるのだろう。いや想像のかけらも思わせないものには創
造性を感じないのだ。
『しかし、改めて考えると、恐竜の化石がなんの役に立つのだろう。なぜ私たちは、こんなに恐竜に
熱狂してきたのだろうか。恐竜化石でダイエットに成功する。否。恐竜化石で病気が治る。否。恐竜
化石で女性にモテる。否。恐竜化石でクリーンエネルギーができる。否。正直なところ、恐竜化石は
実利的にはなんの役にも立たない。』
それでも恐竜が好きだし、平和な世のなかなればこその恐竜学なのである。
『オヴィラプトサウスル類やトロオドンなどでは、抱卵の習性をもっていた可能性が指摘されている。
卵を産みっぱなしではなく、親子としての関係がはじまるわけだ。そういえば、親子丼って、どう考
えても実際は親子じゃないよね。私が世界征服を成し遂げたおりには、二世代丼に名前を改めようと
思っている。』
恐竜は1億5千万年の長きにわたって地球上で生きてきた。私たちホモ・サピエンスの歴史はせいぜ
い20万年でしかない。敬意をもって恐竜のことを学ぼうと思うのだ。

「理系に学ぶ」 川村元気 ダイヤモンド社 ★★★★
川村氏(上智大学文学部新聞学科卒業)が理系の方々とのインタビューをまとめた一冊である。十五
人の方が登場するのだが、強く印象に残ったのは三人の方。まず養老孟司氏はいつも卓見をさらりと
述べてくださる。なんども何冊も読んでいて、それでもハッとするのが不思議だ。わたしの物忘れが
激しくなっただけかもしれないが。日本と西洋のちがいも養老先生だとこうなる。
『僕はよく「日本人は社会の中で他者性が強い」って言うんだけど、西洋は言語を見ても、ルネッサ
ンス以降は必ず主語が入るようになって、「I am a boy」っていう表現も、amの前にはIしかこな
いのに、彼らは絶対に省略しないんです。
 ……
 でも、ルネッサンス以前に盛んだったラテン語は、動詞が全部変化して、強調するとき以外は人称
代名詞が要らなかった。デカルトの「我、思う」も「cogito」の一語です。つまり、「I」を
省略できない現代の西洋人は、常に行動と主体というのが存在すると思っている。』(養老)
『データの検証という点では、1996年にイギリスの研究所が世界で初めてのクローン羊「ドリー」
を作りましたけど、あれは1000回目でやっと成功したんです。でも、999回はなぜだめっだた
のかは、一切証明しないんですよ。生物化学というのは昔から特殊領域で、「成功さえすればいい」
みたいなところがある。株で儲かったとかに近い話でもあって、科学じゃないんです。』(養老)
つぎに、「バザールで、ござーる」のCMで有名な現在、東京藝術大学大学院 映像研究科教授の佐
藤氏である。すごいなという人は思考の様式、方向性がちがうということがよくわかる。テレビや新
聞など表に出ることはほとんど断っているという。
『無名でいると、相手もストレスなく素直に意見をしてくれます。教室でも仕事場でも学生や若い人
が「『先生』、それは違いますよ」と平気で言ってくるし、全否定されることも多いんです。その環
境がなくなったら、もう終わりですよ。』(佐藤)
これと真逆の世界に住む住人たちはなにを考えて日々生きているんだろうな、などと思いますね。
『もちろん現実から離れて概念の世界に行けることが人間の素晴らしいところだと思っています。た
だ、そこに行く足がかりとして、現実にしっかりと足を付けることが大切ではないでしょうか。実は
現実が、概念の世界を超えてたりもします。僕たちにはまだ見えていないだけなんです。』(佐藤)
やはりバランス感覚というのは必要なようです。
もう一人は理論物理学者の村山斉氏である。暗黒物質は宇宙の何%なのかという質問には。
『全体の27%と考えられています。その他に暗黒エネルギーは68%で、普通の原子でできた物質
はたった5%です。』(村山)
えっ、たった5%なのかとだれでも驚く。それくらい宇宙は大きいのか。
『物理学者も何かを理解して説明したいと思ったとき、あるところで言葉を失う瞬間があります。I
PMU(東京大学国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構)内でのやりとりでも、自分の持っ
ている言葉ではどうしても表現できないから新しい言葉が欲しい。だから共通の言語を学ぶわけです
が、それが数学です。数学者が言葉を作る専門家で作家みたいなもの。僕ら物理学者は作家からもら
ってきた言葉を使って仮説のストーリーを作る。』(村山)
つまり物理学者は数式で世界を表現する。表現できるのが世界だということになるのかな。川村氏も
最後に言っている。「理系と文系は同じ山を違う道から登っているだけだった」いうことに気づきま
した、と。さて、もう山の頂は見えているんだろうか。霧がかかっているのだろうか。


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談話室で読書
ロビーの横にこじんまりとした談話室があった。まだ夕暮れまでには時間があったので、ソファに座
って遠くの山並みをながめていた。藍色がつづく景色には時間もゆっくりとすすんでいく感覚になっ
てしまうのだ。そんなとき、旅先で出会った人のことを思いだしたりする。あいつ、いまごろなにし
ているのかなあ。江戸っ子まるだしのしゃべり方が気質をあらわしていた。初対面では、おれのこと
を「なんだこいつは」と思っていたらしい。だがしばらく話しているうちに気心がしれてきたという。
見かけほどには悪いやつじゃあないな、と。もっとうすっぺらな男かと思ってたが、それも見当ちが
いだったぜ、と後に話してくれた。おれって、そんなに悪い男に見えたのかと訊いた。いやあ、そう
いうことじゃなく、女にだらしなさそうに見えたんだと頭をかいた。おれが笑っていると、そういう
なよとなんども弁解した。あいつも男だったらよかったのに。まっすぐに一筋に生きてるんだろうな。

N9519窓から望む

「ハルマヘラ・メモリー」 池辺良 中央公論社 ★★★★
俳優で有名な池辺良さんだが、立教大学英文科を卒業されている。昭和十年代の大卒者といえば人口
にしめる割合は数パーセントであろう。だから当然予備士官学校へと入学る。卒業して中国の山東省
にある衛生隊・輜重隊の予備士官として配属される。そこからフィリピン戦線へと。
『僕は、天皇陛下に忠誠を誓い、学習した戦闘技術と肉体を提供して、国から月給を貰う契約をした
本職の軍人じゃない。
 予備士官学校の在校中、最低三〇人の長として責任が全う出来る程度には勉強もし、軍人としての
使命感を持ったつもりだ。軍隊の組織や規定や作戦の方法論は、目くじらを立てて学んだこともなけ
れば、教えられてもいない。』
そんな池部さんはどんなふうに戦争を体験したのか。さて書名のハルマヘラとは島の名前である。イ
ンドネシアのスラウェシ(セレベス)島とパプアニューギニアにはさまれた位置にあるモルッカ(マ
ルク)諸島のなかの島である。このモルッカ諸島は別名香料諸島ともよばれ、香辛料の中でも貴重な
丁子(クローブ)とナツメグの原産地である。この香辛料を求めてポルトガルとスペイン、さらには
イギリスとオランダが進出してきた土地である。太平洋戦争における戦地でもある。日本の軍隊では
映画でもよく描かれるようにイジメは常態である。そんな一面を池辺氏はユーモラスに描く。昨今の
学校でのイジメ問題と軍隊・体育会のイジメは無関係ではないと思う。体質といえばすこしちがう気
もするが、そうのようなものがあると思われる。人はイジメをするものなのだ、と思う。性悪説かと
いわれればそうだという。しかしイジメは悪か。イジメにレベルはないのか。イジメは親告罪なのか。
さてイジメの定義とはなにか。なぜイジメをしようとする気持ちがめばえるのか。イジメられたから
イジメるんだ。虐待された子は虐待するようになるに似ているのか。いろいろと考えることがあるが
されはさておこう。輸送船中でアメリカの潜水艦による魚型水雷の攻撃を受ける。その後の記憶は鮮
明ではないと思うが運よく駆潜艇に救助された。そのときの描写は実感にあふれている。
『若布の束みたいな姿だ。身体に締まりがなく甲板に引き上げられた。
 誰が、何人掛かりで俺を引き上げてくれているんだろう、有り難う。そんな思いは頭になかった。
 やれやれ、助かった。生命だけは拾ったぜ。そんな思いも浮かんで来ない。まして、部下の兵のこ
とは、この瞬間には、まるで脳裏に存在していなかった。』
この本は1997年の出版で、池辺良氏79歳の時の文章である。2001年の文庫版あとがきでは、
この「ハルマヘラメモリー」は僕の経験に基づいていますが、フィクションだと理解して戴きたいと
書かれている。あえてメモリと書名にしているからノンフィクションではないですよと。記憶は変形
しやすいものでもある。それもよくご存知であるようだ。しかしすぐれた観察力・洞察力がなくては
こうは書けないと思いますよ。是非ご一読いただきたい。戦争のある面がよくわかる。

「脳はなにげに不公平 パテカルトの万能薬」 池谷裕二 朝日新聞出版 ★★★★
池谷(いけがや)氏の本はどれも懇切丁寧で授業風景が見えるようだ。文章も平易である。やたらわ
かっているのか知ったかぶりなのかというような単語を使わない。まさに謙虚な御仁だとの印象であ
る。これまでにも何冊か読んだが、なるほどと頷くことがおおかった。ちょっとしたことに注意をむ
けさせてくれる。これが案外できるようでできない。ただこの書名にある「なにげに」がなんとなく
気になる(笑)。池谷氏は若いというなんだろうな。週刊朝日の連載をまとめたものだという。気に
なるコラムはこんなところだ。
 不平等な世界のほうが安定する
 マネをすると好感度があがる
 自分の話をすることは快感
 人の心を動かす“言葉”とは
 女性の勝負色は「赤」
 ウソは目でバレる
 見つめているから好きになる…
 「嘘をつく能力」は脳の標準仕様
 寝不足は太る
 「無」の存在は脳は感じる
 白い音、白い匂いとは?
 「自由」は行動してみてわかる
人は嘘をつく。だからこそちいさい頃から「嘘をついてはいけない」と教えこまれた。だが、それで
も嘘はつく。ときに「嘘も方便」などと自己弁護しながら。「嘘をつくな」といってもほとんど効果
はない。しかし、「嘘つきにならないで」と言われると効くのだ。人は不思議である。
『この効果は、教育現場はもちろん、社内研修やスポーツ講習など、多くの場面で応用が利きそうで
す。「犯罪なんてしないで」より「犯罪者にならないで」。「裏切らないで」より「裏切り者になら
ないで」。「怠けないで」より「怠け者にならないで」。「無駄をしないで」より「浪費家にならな
いで」。「いつも笑って」より「にこやかな人になって」。「私の状況を理解して」より「私のよい
理解者になって」。「泣かないで」より「泣き虫にならないで」。こんな具合に具体例がいくらでも
思い浮かびます。』
人の視線って気になりますよね。これって気のせいとかと思う。いやいやあるでしょうとおっしゃる
方もいる。詩にもしばしば登場します。ヒトは見つめる動物なんだと思います。
『私たちの視線を読む能力は驚異的です。5メートル離れた人が、自分を見ているか、自分から10セ
ンチ右隣の物体を眺めているかを区別できます。この二つの視線の違いは、白目と黒目の位置比でい
えば、ほんのわずかな差です。コンピュータに、この微妙な視線の違いを画像識別させることは困難
です。しかし、私たちの脳はたやすく区別します。』
ヒトの能力ってすごいものです。続きもあります。
『ところで、視線は見られるだけでなく、視線を送る側の心理にも影響を与えます。カリフォルニア
工科大学の下條信輔博士らがこれを証明しています。写真に写った2人から好みのほうを選んでもら
うという実験です。選択中の視線の動きをモニターすると、決断する前に、すでに好きなほうをより
長く眺めていることがわかりました。はじめは均等に視線を送っていても、徐々に見つめる時間に偏
りができて、長く見ている写真を「好きだ」と選ぶわけです。
 そこで下條博士らは、わざと一方の写真を長く見せるように視線の動きを強制的に操作し、好みが
どう変化するかを調べました。すると、たしかに長く見せられた写真を「好きだ」と選ぶ人が多いこ
とがわかりました。
 見るから好きなのか、好きだから見るのか――人の心は複雑です。』
これって自由意思の問題と関係していますね。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」
というジェームズ=ランゲ説を思いだします。


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水辺で読書
地球は水の惑星とよばれている。ヒトもそのからだの組成の60%以上が水分だ。地球上の生物にと
って水はなくてはならないものである。元始、生命は水のなかで誕生したという説もある。というわ
けでかどうか、水辺にはなにかヒトを落ち着かせるものがある。旅の途中にたちどまってひと休みし
たり、読書をしたりした。そこはちいさな沼のようなところだった。周囲は遊歩道が整備されていて
散歩する人たちもいる。ときおり水面は太陽の光をキラキラと反射させる。まばゆいながらもその方
向に注意がむく。水草越しに白い服をきた女性のシルエットが見えた。顔は見えない。ときおり下を
むいているようは動きをする。なにかを探しているようではない。だれかと話しているのか。そんな
姿勢で話すなどありえない。ちいさな生き物のような動きだけが感じられるのだ。いつのまにかじっ
とその光景に見入っていた。脳裏にうかんだのは、ホムンクルスがいるのかということだけだった。

N0344池の面

「脳のなかの万華鏡」 リチャード・E・サイトウィック&デイヴィッド・M・イーグルマン
                           山下篤子訳 河出書房新社 ★★★

世界をだれもがおなじように感じているわけではない。比喩的な意味でいっているわけでもない。あ
る人たちは共感覚(シナスタジア synesthesia)とよばれる特殊な知覚をもつ。たとえば文字を見て
そこに色を感じたり、音に色を感じたたり、形に味を感じたりするのだ。これらの人々は自分のこと
を特別だと思っていない。だれもがそうなんだろうと思っているので殊更に話すようなこともない。
なにかの拍子にそのことを知りおどろく。近年調査研究がすすんできてかれら共感覚者は思ったほど
少数ではないことがわかってきた。二〇〇五年にエディンバラのジュリア・シムナーたちが二つの調
査を行なった。その結果はどうなったか。
『この研究で、いずれかのタイプの共感覚がある割合は二三人に一人、書記素→色の共感覚は九〇人
に一人の割合で見られるという結果が出て、共感覚は当初に考えられていたよりもはるかに多いこと
が確認された。また、もっともよくあるタイプは、曜日に色を感じる共感覚で、その次が書記素→色
の共感覚だということもわかった。』
また別角度からみると、世のなかにあることばの比喩は彼らの実感そのものだ。非共感覚者といえど
もまったく別世界に生きているものではないかもしれない。
『匂いが味の知覚に大きな影響をおよぼすことを考えると、主として匂いを表現する言葉が、ほとん
どないのは皮肉である。匂いにかかわる言葉はほぼすべて、ほかの感覚からの借りもので、「甘い」
も、「鋭い」も、「はなやかな」、「清潔な」、「新鮮な」、「やわらかい」、「スパイシー」も、
みなそうだ。また匂いの用語は、「「花の香り(フローラル)」、「果物のような香り(フルーティ)
」、「かびくさい匂い」、「刺激臭」など、代表的な原因をひきあいにしているのが通常である。』
この共感覚というのは単にある形がある色などを感じるということではないようなのだ。
『多数派の共感覚者にとって、色を誘発するのは、ある書記素に固有の概念であって、視覚がとらえ
る形そのものではないということがあきらかになってきたと思う。』
概念だから、たとえばJであれば小文字でも筆記体でも同じ色が誘発されるということだ。形ではな
く概念なのだ。数字に色の共感覚がある人の場合、こんなこともある。
『6という数字が黒いインクで印刷されている。共感覚者はそれが黒だということは知っていて、実
際にも黒く見える。しかしそれとは別に緑も感じる。その緑の体験は不随意的である。それを内的に
体験する(緑が頭のなかに浮かぶ)人もいるし、色が位置をもっている(字のうえに重なっている)
人もいる。共感覚者は一般的に、「まちがった」色のついた字を見ると――たとえば赤を感じるのは
数字の3だけという人が、赤い6を見ると――落ち着かない気分になる。』
共感覚のなかには字に人格を感じたり、生きものではないものに情動特性を投影する共感覚者もいる
のだ。彼らは桃がおどおどしていると感じたり、バナナを一本、房からとるのにためらいを感じると
いう。なぜなら房からはずすと「さみしくなる」だろうと思うからだ。

「煽動者」 ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳 文藝春秋 ★★★
本作の主人公はキネシクスが専門の女性捜査官キャサリン・ダンスだ。このキネシクスとはなにか。
まあ簡単にいうと相手のボディランゲージから心理分析をするというものだ。相手が嘘をついている
かどうかを見きわめようとするときに注目すべき要素は三つあるという。非言語行動(ボディランゲ
ージ、またはキネシクス)、言語の様態(声の高さや話す速度の変化、答える前にためらうといった
反応)、言語の内容(発言の中身)。先の二つは、嘘やごまかしの判断指標として、最後の一つより
はるかに信頼度が高い。「何を言うか」は思いどおりに変えることができやすい。しかし、「どう言
うか」をコントロールするのは困難だ。その際にボディランゲージとして表れる反応も、意識的にコ
ントロールするのは難しい。だがなにごとにも例外があり、サイコパスと呼ばれるような連中はこれ
をいとも簡単にクリアしたりするから厄介だ。そのキャサリン・ダンス・シリーズの第4弾になる。
犯罪者はだれでも嘘をつく。だが、ボディランゲージや言葉の抑揚、一瞬のためらい、視線の動きな
どはコントロールがむずかしい。そこを判断するのだ。なにをつまり内容よりどうしゃべっていりか
を観る。しかし百発百中ということはありえない。ところで今回はダンスがいきなり失態を演じる。
そこで捜査本部から銃の携帯が許されていない民事部への移動を命じられる。そこで遭遇したのがナ
イトクラブが招いた人気バンドのライヴで起こった失火事件だ。火事騒ぎでパニックになった観客が
非常口に殺到するがトレイラーにふさがれて開かず圧死により死亡者もでる大惨事となった。調べて
いくと火事は起こっていなかった。火事をよそおっていただけだ。なぜだれがこんなことをと疑問は
つのる。さらに連続して関連していそうな事件が起きる。犯人の目的はなんなのか。パニックに陥る
人々をながめて快感を得ているのか。それとも、もっと別の動機が隠されているのか。ジェフリー・
ディーヴァー独特のストーリーが二転三転するうえにさらにまた逆転するという展開がまっているで
ある。上下二段組で491ページもある長編ミステリだから読みごたえもある。
『気にしないこと(レット・イット・ゴー)……』
文中にたびたびでてくるこのフレーズ、なにを意味しているのだろう。読んでいて気になる。そう、
気がかりがあるとミステリはおもしろいのだ。しかし最後の種明かしには、まったく参るのである。


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テントのなかで読書
テントは張る場所を考えないといけない。寝ているあいだにネズミやリスが食糧を荒らすこともある。
その対策は必須だ。そういうこともあるが、昼間にテントのなかで寝転がっているのも気持ちがいい
ものだ。木陰であれば、涼やかな風がとおりすぎていく。リュックを枕代わりにして、高く脚を組ん
で寝ころんでみる。そのときコーヒーの香りがただよってくる。飲むかい。ありがとう。なにを読ん
でるんだい。カール・フォン・フリッシュさ。なんだ小説じゃないのか。ヒトよりミツバチのほうが
断然おもしろいよ。そうか、おまえって変わってるな。ミツバチのコミュニティには女王蜂が一匹だ
けいる。あとは働き蜂たちばかりだ。おなじミツバチに生まれてきても、ちがった一生をおくるんだ。
おまけにミツバチは高度な社会性をもった生き物なんだよ。有名な8の字ダンスで花や蜜の情報を仲
間に伝えるんだな。蜂だからハチの字ダンスというのじゃないけど、なんとなくおかしくなるよな。

N9512六甲山脈

「「婚活」症候群」 山田昌弘 白河桃子 ディスカヴァー・トゥエンティワン ★★★
まず「婚活」ということばは著者山田昌弘氏が考案した造語である。だが、そこから派生した〇活な
どということばが巷に氾濫するほどいまでは普通名詞になっている。だがその中身、本意については
誤解が多いという。「婚活」はそもそも少子化対策とリンクした概念であった。
『わたしや白河さんが、婚活の普及で目指していることの一つは、日本の男女交際の活性化でもある
わけです。日本において、男女交際が不活発であることがさまざまな問題を引き起こしているとわた
しは思っています。
 それは、未婚化、少子化をもたらして、日本社会の少子高齢化を促進します。そして、中高年の無
縁社会化など、さまざまな社会問題をもたらしていると思っています。』
だが結婚と出産とは密接にリンクしない時代になってきている。また経済的に結婚できないと思い悩
む男女もおおい。それはともかく一部の人たちには結婚への道は厳しく険しいものだと思われている。
『かつての結婚は「生活必需品」だったので、目の前の選択肢からとにかく選ぶことが第一でしたが、
もはや結婚は「嗜好品」になったので、「いい人がいたら結婚したい」「よりよいものを選びたい」
という気持ちは当然出てきます。』
もちろん人生において結婚だけがすべてではない。そう頭ではわかっている。では、ほかになにがあ
るのか。そう考えたとき、これだと言い切れない自分がいる。でもだれとでもとは言えない。
『女性は、収入が不安定な男性ははなから避ける。男性は、収入に自信がないから、声もかけられな
い。』
婚活は条件付ゆえにむずかしい問題をはらむ。愛と結婚とは別問題だとの冷めた認識もある。いっぽ
うで、愛情が感じられない結婚はできない。すべて完璧に整ったうえで結婚したい。だからますます
現実的には結婚から遠のいていくのだろう。見合い結婚があった昔のほうがよかったのだろうか。
『つまり、日本人は自分たちで結婚しようと思わなくても、ベルトコンベアの上に乗っていれば結婚
できたのです。それが、急に「結婚してもいいししなくてもいい。自由ですよ」と言われてしまうと、
自由に慣れていない日本人はすごくつらい。それでみんな迷っているわけです。』
そんな状態でいつまでもいると、結婚もできないのかという考えがよぎる。「婚活」とマスコミや自
治体が叫ぶほど、尻込みしてしまうのかもしれない。自由の慣れていない日本人はつらいよ。

「超老人の壁」 養老孟司 南伸坊 毎日新聞出版 ★★★
現代はコンピュータ全盛の時代である。ではそのコンピュータの原理はというとすべてを0か1で表
わす。それをデジタルと呼ぶ。慣れてくるとこの世のなかはすべてデジタル信号で表現できると思っ
てしまう。それを信じれば万能感が得られる。すべて同じじゃないかと錯覚する。
『それがコピーの社会なんですよ。0と1の社会。それは神経回路の社会なんです。神経回路ってい
うのは、神経細胞がつなぎ合わさって出来ている。回路の中に入ると、個々の神経細胞っていうのは
2つの状態しかとれません。ユニットになると、0と1しかとれないんですね。それを組み合わせて
いったものが、アルゴリズムです。今は全部、アルゴリズムで書ける世界になりつつある。(養老)』
世界なんかちょろいものだ。すべては我が手中にあり、なんてね。だがそうだろうか。
『神経回路網からみれば個々の神経細胞は0と1になるんだけれど、神経細胞を1個、回路から外し
てみると、面白いことに、0と1の間に無限の階層があるのがわかっちゃう。なぜかっていうと、そ
の細胞は今、休みの状態にあるか、興奮するかでしょ。
 でも、じつはこれ一発で切り替わるんじゃなくて、化学物質の溜まり方っていうのにもよるんです。
休みの状態から興奮する状態までには無限の段階があるんです。(養老)』
デジタルはある意味近似値なんだと思う。アナログな世界に住みながらもデジタルは憧れなのかもし
れないですね。脳は白黒はっきりが好きというか、そのほうが負担がすくないのでしょう。
『平和な時代の人は、身体の時代を「乱世」と呼びます。縄文は身体の時代で、弥生は情報化の時代、
意識の時代です。弥生の延長が平安で、それが壊れるのが『平家』『方丈記』の時代。江戸まで来る
と、またね、平和な時代になって、意識の時代になって、「何事も心掛け」って(笑)。
 それを一番象徴的に表すのが侍の言い分で、戦国の侍は「腹が減っては戦はできない」って言って
いたけど、江戸の侍は「武士は食わねど高楊枝」って言うんですよ(笑)。(養老)』
身体と意識は、まさにアナログとデジタルと対照を示しています。まあ、どちらがお好みでもいいん
ですけどね。


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二段ベッドで読書
若いころに旅をするといえば、安いユースホステルがよく利用された。そこでベッドといえば二段が
定番である。知らない同士がおなじ部屋で眠る。それが嫌なら旅などできない。そんな時代であった。
どちらかというとベッドで寝るのが初体験という若者が多かった。子ども部屋が一般的ではなかった
から個室気分が味わえてうれしかった。下か上かどちらにとれるかは運次第である。あるいは性格に
よるかもしれない。兄弟なら上が弟で下が兄になるだろう。上座は下か。なんとなく可笑しさを感じ
る。早い時間に到着してチェックイン。さっそく二段ベッドの下段を占拠する。ごろんと大の字にな
って仰向けに寝ころぶ。おおきく伸びをすれば自由な空間が満喫できるのだ。リュックから本を取り
出して読みはじめる。聞こえてくるのは蝉の声ぐらいだ。はるかの世界へと旅立つことができるよう
な本を読んだ。いつしか夢か現かもわからない境地にいたる。世界にはわたしのみが存在するのだ。

9312コルク人形

「猟犬」 ヨルン・リーエル・ホルスト 猪俣和夫訳 早川書房 ★★★★
ノルウェーの首都オスロから南西に100kmほど離れた小さな街ラルヴィクの警察に勤務するヴィリ
アム・ヴィスティング警部は勤続31年のヴェテラン捜査官である。そんなある日、新聞社の記者を
しているヴィスティングの娘のリーネから17年前に解決したと思われていたセシリア事件で証拠の
DNA鑑定で偽造があったという告発がなされ新聞で大々的に報じられるとの予告の電話を受ける。
まさに青天の霹靂である。当時、この事件の捜査責任者であったヴィスティングは即時停職処分を勧
告され警察官の身分を停止されることになってしまう。黙って処分を待つまでもなくヴィスティング
は事件の再調査に乗りだす。ちょうどそのころ、娘のリーネはオスロ湾を挟んで対岸に位置する土地
で起きた殺人事件を取材していた。もしこれが大事件に発展すればすこしは父への風当たりも弱くな
るかもと考えたりもする。だが独自の調査で割り出した被害者宅を訪れた際に家宅侵入犯に遭遇して
しまう。彼が事件の犯人なのかそれともたまたまの偶然なのか。こうしてふたつの事件がヴィスティ
ングとリーネを中心に展開していく。まったく別々の事件と思われたものがいつしか関連性を帯びて
くるのだった。セシリア事件での証拠偽造はどうも警察関係者が関係したしかにあったようなのだ。
ここからヴィスティング警部の調査は警察官の身分をはがされながらも本格化していく。セシリア事
件で有罪となったハーグルンとの対面場面など緊迫感あるストーリーは息づまるものがある。犯罪に
は動機がある。ヴィスティングとリーネは話す。彼女は「動機って何かしら」と問いかける。
『「動機には八つあるといつも思っている」ヴィスティングが答えた。
 「八つ?」
 うなずいて、数えあげていく。「嫉妬、復讐、金目当て、欲望、スリル、追放、狂信だ。嫉妬や復
讐心による殺人は最も簡単に説明がつく。個人的に金銭が絡んだ殺人もそうだ。スリルというのは動
機としてはあまり表には出てこない。出てくるとすれば連続殺人だが、幸いこの国ではそういうのは
多くない」
 ……
「でも、まだ七つにしかならないわよ」リーネが言った。「八つめの動機は何?」
「これはおそらく見抜くのがいちばん難しい」ヴィスティングが返す。「別の犯罪を揉み消すために
犯す殺人だ」』
本作品はかの有名なマルティン・ヴェック賞など北欧の主要な三賞を受賞している。

「地球を「売り物」にする人たち」 マッケンジー・ファンク
                    柴田裕之訳 ダイヤモンド社 ★★★★

地球温暖化といわれて久しい。ほんとうに温暖化しているのかという問題はさておく。本書はそんな
地球の様子を六年の歳月をかけて追った力作である。著者が冷静沈着に書いているのに好感をいだく。
『本書は人類が性懲りもなく温暖化を促して生み出す気でいるように思える世界に対して、私たちが
どう準備を進めているかについての本だ。気候変動がテーマではあるが、それを科学的に解明するた
めのものでもなければ、気候変動をめぐる政治についてのものでもないし、どうすれば私たちが気候
変動を止められるか、あるいはなぜ止めるべきなのかを直接取りあげるわけでもない。それでは何の
本かといえば、「人類は気候変動を早急に止めそうにない」というシンプルでシニカルな前提に賭け
た、人間のふるまいについてのものだ。』
どこかのだれかのように反対と叫んでいれば世界が変わるのであればいいのになと思う。だが現実は
そんなことでは一ミリも動かないようだ。
『本書は人々、それもおもに私のような人間、すなわち歴史的に見て、いわゆる温室効果ガス排出国
と呼ばれる、北半球の先進国の、文字どおりの意味で、あるいは比喩的な意味で高い位置を占め、ド
ライな土地に暮らす人についてのものだ。
 私は、気候変動が人間にどのような行動をとれせるかに関心がある――私たちがどのように危機に
立ち向かうかのケーススタディ、それも究極のケーススタディとして。』
そもそも地球レベルでの温暖化というのはどのくらいのスパンで考えるものなのだろうか。たとえば、
一万年単位とか。いやいや地誌レベルだと十万年が一メモリぐらいになるのか。地球はなんども氷河
期を迎えたらしい。氷河期がほんとうに来れば人類は絶滅するかもしれない。それよりいまこの地球
温暖化を考えてみるということだ。地球の平均気温は上昇している。それにつれて北極の氷床が溶け
だしている。氷河は年々小さくなっている。海面の上昇がみられる。このまますすめば確実に水没す
る都市もでてくるだろう。悲観的になるのは見方がせまい。いままで閉ざされていた北極海航路は通
年可能になるかもしれない。グリーンランドもまさにその名のとおり資源あふれる土地に変わるかも
しれない。どこかがマイナスになればどこかでプラスがある。地球温暖化はゼロサムゲームなのか。
著者は世界各地で実見してきたことを本書にしるす。読者はどう判断するのか。ここからなにを読み
とるのかは自由だ。本とは本来そういうものではなければいけないのではないか。書き手とおなじよ
うに読む側も考える力がなければならない。扇動的言辞にはもう飽き飽きしているのだ。その陰で投
資家はなにを考えどう行動しているのだろうか。
『気候変動関連投資家にとって、水は明白な投資対象だった。二酸化炭素の排出は目に見えない。気
温は抽象概念でしかない。だが、氷が解け、貯水池が空になり、波が押し寄せ、豪雨が降り注ぐとい
うのは、具体的ではっきり捉えられる。いわば、気候変動の「顔」だ。水のおかげで気候変動は実感
を伴う。』
単に水そのものだけの問題ではない。農業に水は欠かせない。こういうことを知っているのか。
『小麦を1グラム輸出するのは、水を1リットル輸出するのに相当する』
地球温暖化も投資家にとってはビジネスチャンスにすぎない。


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遠くに眺めるのも好きです。
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