ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ベランダで読書
洗濯物の干し場にもなっているくらい広かった。風もよくとおり抜ける。ひととおり洗濯物が干し終
わると当然のことながらだれもいなくなる。シーツについた洗剤の香りがただよっている。どこかで
だれかがギターを弾いているようだ。とぎれとぎれに笑い声も聞えてくる。いい天気だ。片隅のコン
クリートの段に腰かける。読みかけていた本をとりだす。これでゆっくりと読める。そう思っていた
ら案の定だ。だれかがやってくる気配を感じた。女だな。彼女らが好む合成化学物質のにおいがする。
男はこの化粧品だかのにおいに弱い。たぶん条件反射が形成されているのだ。もしかしたらフェロモ
ンも含まれているかもしれない。もちろんフェロモンは無臭だ。ムッシュなにしているの。本を読ん
でるんだ。なぜこんなところで。静かだからさ。もしかして逢引きなの。そんな相手なんかいないよ。
かわいそうなムッシュ。そういわれるとそう思ってしまうから暗示的だ。可哀そうな俺か、フッフッ。

N0111桟橋

「逃亡のガルヴェストン」 ニック・ピゾラット 東野さやか訳 早川書房 ★★★
冒頭で主人公のロイ・ケイディは医者から肺に雪が舞っているようなレントゲン結果を告げられる。
これまでギャングの一員として闇稼業で生きてきたが、これで俺の運もつきたのかと思う。そんなと
きボスの命令で出かけた先で殺し屋たちに襲われた。どうやら仕組まれたものらしい。なんとか切り
抜け、そこで出会った18歳の娼婦のロッキーと逃亡することとなる。ロイは40歳だから傍から見
てなんともつりあわないふたり連れである。その途中彼女はある場所に立ち寄ってくれといった。家
のなかへと消えたあと銃声が聞こえてきた。戻ってきた彼女はティファニーという少女を連れだして
きた。妹だという。さてこれからどこへ行ったものか。
『「ねぜ消音器をはずした?」
 ロッキーは肩をすくめ、ウィンドウの外のなにかに視線を向けた。「つけてないほうが、よけいに
物騒に見えると思ったから」
「ガルヴェストンに行ったことはあるか?」
 彼女は首を横に振った。』
ガルヴェストンはテキサス州にあるちいさな町だ。ダラスの南、ニューオーリンズに西に位置し、メ
キシコ湾岸にある。昔つき合っていたロレインという娘とビーチで語り明かした夜があった。それが
ガルヴェストンだったのだ。ロイとロッキーとティファニーとの奇妙な三人での生活が始まる。それ
は逃亡生活でもある。いつギャングたちの追手が迫ってくるかわからない。ロイは彼女たちを捨てて
どこかへと去っていくのか。いかにもアメリカ的なストーリーが続いていく。わたしにはそんなにお
もしろいと感じなかった。

「佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?」 竹内久美子×佐藤優 文藝春秋 ★★★★
この世に神はいるのか。神は全知全能なのかと考える。では神がいるとして、なぜ悲惨な戦争や犯罪
が起こるのか。そう疑問をいだくのは当然である。いっそこの世に神はいないとしたほうが辻褄はあ
うのだ。だが神はいないよりいたほうがいいという立場もある。否、いてほしいという感情もわから
なくはない。そこで神学と動物行動学の見地から意見をたたかわせてみようという企画になったのだ
ろう。その対談が本書である。わたしはおおむね動物行動学の竹内女史に加担している(笑)。世間
一般の信者と神学者の意見はちがうのだとはじめて知った。佐藤氏はいう。
『「神は妄想である」というのは、一九一四年までの啓蒙主義の世の中では、少なくとも知識人にお
ける常識でした。ところがそれ以降は、神を信じる人たちには二つの道が提示されるようになった。
一つは近代的な世界観を一切認めない道。誰がなんと言おうと地球は平らであって、月や星が地球の
上をぐるぐる回っており、神は上にいるんだと強弁する人たちの生き方ですね。これはカトリック、
正教、そしてプロテスタントでもキリスト根本主義(ファンダメンタリズム)につながる人たち。
 それに対してプロテスタント主流派の選んだ道は、神様は心の中にいるという考え方でした。心に
よって宇宙を直感したり、心理作用によって神を構想したりするようになった。それは合理主義や啓
蒙主義を裏返したかたちのロマン主義にもなりました。』
では聖書とはなにか、佐藤氏は逆説的に解釈してくれる。
『『聖書』には、到底できないことを基準として掲げることによって、全員がそれを守れない罪びと
であることを認識させるわけです。自分たちの社会は罪びとたちの共同体だと認識させることに主眼
があるわけですから。』
なんだか酷いと竹内さんは思うのだが、佐藤氏はだからこそキリスト教は二千年も長持ちしているん
だとも言う。ただ仏教でもイスラム教でもどんどんと変形というか分派していく。キリスト教もカト
リックとプロテスタントではかなり教義がちがう。そのなかでもさらに分かれていくのだ。だから、
いちがいにキリスト教はとかイスラム教はとはいえない。世界で問題を起こしているイスラム教は、
スンニ法学派のうちの四番目、ハンバリー法学派というのがほとんどの問題を起こしている。この学
派はアラビア半島で強い影響力をもっている。逆に他の地域にルーツをもつイスラムはそんなに問題
を起しているわけではない、と佐藤氏はいう。日本人は中国人は韓国人はアメリカ人は、と人はいい
がちであるが、ものごとの本質はそんな単純なものではない。しかし人は単純を求めるのだ。ここが
一番の問題でもある。常に自戒していなければいいように動かされてしまう。すべてを紹介すること
は不可能なので、神についての問題に興味のある方は是非ご一読いただきたい。


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踊り場で読書
木造の建物には階段に踊り場があった。狭い空間ながらちいさな机と椅子が二脚おいてある。低い位
置に切られた窓からは空がみえた。ふたり向かいあって座ってそれぞれが本を読んでいた。顔は見知
っているが話したことはないふたりだった。話しかけられればこたえようと思ったがそれもない。こ
ちらから話してもいいがとも思ったが踏ん切りがつかない。じりじりと時間だけがすぎてゆく。なぜ
かこの状況が好ましく思えてきた。本を閉じ口と鼻の下に手をやってすこし考えた。にやりとしたの
だろうか。そのとき彼女はこちらを見た。たしかに見た、と思う。だが彼女はなにもなかったかのよ
うに本を読みすすめている。すこし意固地な気分になってきた。絶対にこちらからは話しかけはしな
い。負けてなるか、とすこし力んだ。くちびるが真一文字に切り結ばれ、鼻息もフンと鳴っただろう。
そのとき、彼女はうつむいたと同時に両肩をこきざみにゆらした。クックッと偲び声も漏れてきた。

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「「他人」の壁」 養老孟司・名越康文 SB新書 ★★★★
本書の対談の大きなテーマは「他人への理解」「気づき」なんだが、結局、「気づき」の裏側って違
和感ではないかと養老先生はおっしゃるのだ。日常生活のなかでちょっとした違和感がある。だれも
が程度の差はあれもつのではないか。その違和感が大切なのではないかと養老先生はおっしゃる。
『違和感を抱き続けるってどういうことかというと、人間の本当の意味での体力とか強さというもの
が試されるんですよ。そいう違和感に対するストレスに、耐えていくのが体力なんであり、ある種の
強さなんです。だから、そのために山や森へ行って感覚を養えと何度も言っているんです。そこに耐
える力が弱いと、「そういうもんだ」という生き方しかできない。それで「気づけない」「わからな
い」と言っても、当たり前のことなんでね。楽をした瞬間に何かができなくなる、損をするというの
は当然のことなんです。(養老)』
ヒトの無意識の世界は水面下の氷とおなじようなもの。その無意識が発する違和感をだいじにして考
え続けること。それが思考するということなのだ。考えない人生はつまらない、のではないか。考え
ることにお金は必要ない。だれも平等にもつ時間だけが必要となる。できれば静かな環境があればい
いが、必須ではない。電車のなかでも、ベッドや寝床のなかでも考えることはできる。まさしく自由
思考である。考えることは楽しいことでもある。
『僕自身も若い頃から絶えずやってきたことで、自分の頭の中で「これ、変じゃねえか」という違和
感を持つということですよね。だって、変だと思ったら、それは自分が変なのか、相手が変なのか、
どちらかだから。自分を変えるか、相手を変えるかでしょう。そういう意味では、今の人たちは「相
手が変だ」というほうが多いんじゃないか。僕はそれを不寛容と言うんです。「違和感があるぞ、変
なのは俺じゃない、こいつだ」となって、相手を抹殺する。不寛容の極みです。だから、「あるもの
はしょうがないじゃないか」ということ。「あってはならない」と寛容できなくなった瞬間、人は不
寛容になるんです。(養老)』
寛容ということで考えさせられるエピソードがこれだ。でもわからない人もいるのだ。
『三木武吉という昔の政治家が、国会で「この中に妾を4人も囲っている者がいる」と遠回しに批判
されたことに対し、三木が「事実は5人です。5を4と数えるがごときは小学校一年生でもしない」
と言い返した。さらに「5人とも年老いたけれど、これを捨てるような不人情は自分にはできない。
今も5人とも養っております」と答えたというね。聴衆も爆笑して拍手喝采だったと。(養老)』
ユーモアのない世界は生きづらい。そうつくづく思う。

「結婚」 井上荒野 角川書店 ★★★
いつの世にも詐欺師というのはいる。人の欲望・希望・願望をたくみについてお金を巻きあげる。そ
のなかのひとつに結婚詐欺師がある。鳥海真司(とりうみしんじ)、大海銑次(おおがいせんじ)、
そして古海健児(うるみけんじ)、同一人である。彼にとっては職業というよりは生業というほうが
ぴったりする。詐欺師だから偽名を使うわけだが、これらの名前どこか似ている。どれも海がつく。
宝石商、あるいは宝石鑑定士と称する。小柄な優男タイプだ。騙される女性は、東京で学習塾事務員
をしている柊亜佐子、佐世保でシャンソン歌手の円地マユリ。実は古海(本名)は結婚していて初音
という妻がいる。そして彼にとっては最初の客でありいまや相棒となったるり子だ。続いて、社交ダ
ンス教室に通う七戸鈴子と仙台で家事代行会社社員をしている穂原鳩子が登場する。彼女は思う。
『男と不動産は似ている。
 マンションを買ったときにそう思った。
 条件ではないのだ。いいところと悪いところを秤にかけて迷うのではなく、そんなこととは無関係
の「これしかない」と思える物件を手に入れるべきなのだ。ただそうやって選んだつもりでも、失敗
するときには失敗する。』
さらに被害者、あるいは虜になった女性がふえていくのか。しかし犯罪はいつかは破綻する。鳩子が
消えてしまった鳥海の後を追う後半はミステリのような展開になっていく。ディーン・フジオカ氏で
映画化されるとのこと。見る気はないが、キャストミスではないか。男前すぎるかも。結婚詐欺師っ
てもっとふつうの男のイメージなんだが。しかし荒野さんの文章にはなぜか引き込まれていく。そし
て結末はいつも余韻を残すというか、消化不良というかなにか考えさせられるものがある。現実もそ
うだがものごとはいつもきちんと終わらない。そのほうが圧倒的に多い。だから逆に小説にはハッピ
ーエンドを望むのだろうか。


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バス停で読書
田舎ではバス停が小屋のようになっているところがある。雨風や陽射しをさけられるようになってい
るのだ。時刻表を見ればポツポツと数字がならんでいる。次のバスまではまだ一時間以上もある。し
ばらく座って本でも読んでいるか。ベンチには手作りらしき座布団が敷かれていた。近所のおばあさ
んの手になるものだろうか。寒い時期にこれはありがたい。やわらかな感触が尻に伝わる。気持ちが
形となっているのだなと思う。しばらく本を開いたまま読まないで空をながめていた。青い青い空に
白い雲がちぎれて流れていく。人もおなじなんだ。葉をすべて落とした柿の木に熟しすぎた実がぶら
さがっていた。どこからかメジロの集団がやってきた。器用に枝にぶらさがりながら実を啄ばんでい
る。しばらくすると突然かなたへと去っていった。冬の季節はエサにも不自由するんだろうな。それ
にくらべて人は飽食になったのか。などと思いながらアンパンをかじりつつ苦笑する旅なのであった。

N0189二羽のメジロ

「中国・電脳大国の嘘 「ネット世論」に騙されてはいけない」 安田峰俊 文藝春秋 ★★★★
いまや人口が13億人をこえる中華人民共和国である。歴史をみてみると漢民族がつねに統治してき
てはいない。北方のモンゴル族や満州族が国家統一をはたしていた時期もあった。日本はおおくの影
響をうけたことは漢字をつかっていることからも知れる。偉大なる先達として尊敬してきた国でもあ
った。だがいまや中国共産党が一党支配する国家となっている。ソヴィエト連邦のように崩壊するの
だろうか。それより以前にいまの中国はどうなっているのか。中国人民はどういう人々なのか。その
端緒になるかと本書を読んでみた。若い著者だがなかなかしっかりした考えをもっている。賛辞ある
いは批判一辺倒でないのがいい。日本人は韓国や中国を考えるとき、つい身内意識がでるようだ。お
なじモンゴロイドというのがあるからだろうか。
『日本発のコンテンツが、日中間の新しい世代の間で友好と相互理解を育んでいく――。
 近年の日本で唱えられた、そんな「神話」の実態は非常にあやふやだ。中国で日本文化が流行して
いるという事実と、それが中国人の対日意識に大きな影響を及ぼすという願望は区別されなくてはな
らない。
 われわれ日本人が勝手に思い込んでいるほどには、現代中国の若者の大多数は日本に興味なんか持
っておらず、思想的な影響を受けてもいないのである。』
現在の中国は多民族国家である。そう単純に中国国民などという括りは無理がありそうだ。どうして
も日本人はそう考えがちになるのだが。それに中国共産党一党独裁体制というのはどのようなものな
のかの実感がわかない。発言自由な日本にいてはわからないのだ。
『国家権力を独占する中国共産党の指導者たちは、国内の庶民の間に存在する「常識」の基準すら、
ある程度なら変えられるだけの権威を持つ。
 そして庶民の側も、強大な為政者たちの意向を敏感に察知し、それに基づいた行動や思考をみずか
ら選択しがちな性質を持っている。
 こうした傾向は「乗風転舵(チエンフオンヂュアンドウオ)(風が吹いた方向に舵を切る)」と呼
ばれ、政治的変動の多い近現代史を潜り抜けてきた中国の庶民が持つサバイバル技術のひとつだ。』
日本語の「政治」と中国語の「政治(ヂエンヂー)」とは似て非なる意味をもつというのだ。
『「政治(ヂエンヂー)」は中国共産党をはじめとした当局側の勢力による、イデオロギー宣伝や権
力闘争を目的とした大衆動員を指す場合が多い。』
だから中国で起こる出来事にあまりに一喜一憂する必要はないと筆者は指摘する。たとえば。
『中国における大規模な反日デモは、日本の一部メディアで指摘されたような、政治意識に目覚めた
民衆による「自発的」な運動でも、当局が社会不満に対する「ガス抜き」として民意を容認した結果
生まれたものでもない。最終的に暴徒化して統制が取れなくなったとはいえ、本来の性質は、一部の
国家指導者が指し示す「政治的正義」に基づいて実施された大衆動員だったのだ。』
筆者のいうことが事実にちかいなら、日中間の問題もすこしちがったふうに見えてくるのではないか。
いかんせん日本のメディアは頼りない。

「罪深き眺め」 ピーター・ロビンスン 幸田敦子訳 創元推理文庫 ★★★
「主任警部アラン・バンクス」というイギリスで人気テレビシリーズの原作である。その第一作が本
書だ。ロンドン警視庁犯罪捜査課の第一線から自ら望んで片田舎のイーストヴェイル署に転属してき
た。こうしたことからもまだ三十代後半というバンクス警部の性格が推察されようというもの。だが
意に反して事件はつぎつぎと起こる。起きなければミステリも成立しないわけだが。まず複数ののぞ
き事件がおこる。続いて老女宅が荒らされる。さらにはひとりの老女が死亡する事件だ。すべてはど
う関係しているのか。心理学者の助力をえることになった。ジェニー・フラー教授がなんとも魅力的
な女性だったのだ。バンクス警部は複雑な心境となる。妻もこどももいる妻帯者なのだから。このあ
たりの人間くささが人気の秘訣かもしれない。だが音楽の趣味は高級である。
『バンクスはなにに煩わされることなく、古いバラッドに酔いしれた。オペラもいいがバラッドも好
きだ。「高尚」か「低俗」か、「文化」か「民俗」か、そういった区別立てはバンクスには関係ない。
彼の心を魅了するのは、音楽に秘められた物語、ドラマ、緊張感だ。』
また彼をとりまくスタッフもおもしろい。鷹揚なグリスソープ警視、がさつなハッチリー部長刑事、
生真面目なリッチモンド刑事。そしてバンクスの妻サンドラが味をみせる。まだまだ本格的なミステ
リとはいえないが、次第に本領を発揮してくれそうな期待感がある。


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雪見酒で読書
しんしんとわが家の屋根に雪はふりつむ。そんな夜には読書をするのがいい。雪は防音材の役割を果
たして深い静寂を用意してくれる。ウヰスキーをやりながらめくるめくページをくる。アルコールは
毛細血管をひろげ、からだの隅々にまでエネルギーをいきわたらせる。じんわりと食道から全身にひ
ろがっていく熱量は自律神経の安定をもたらしてくれる。読むうちにさらに深く降りてゆく感覚がわ
いてくる。どこまでも疲れることなく進んでいける気にもなるのだ。いつしか寒さを忘れ悩みも消え
去っていることに気づく。指先がページをめくればまたひとつ扉が開く。その扉の向こうにはまたさ
らなる扉が続く。これは無限後退を示しているのだろうか。そんな疑問がうかんではきえる。いつし
か知らない道を歩いていた。未知なる道かとおかしくなる。戸外には暗い背景のなか雪が舞う。窓ガ
ラスに部屋の灯かりが映る。音なき世界はわたしをどこへ連れて行こうというのか。冬の夜は長い。

N3967雪の朝

「ヤバイ経済学」 スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・タブナー
                          望月衛訳 東洋経済新報社 ★★★★

世のなかに種々ある学問のなかでもうさんくさいな感じがする筆頭は経済学である。すべての理論は
すぎさった後に組み立てられているではないかと思えてならない。それが未来への予測として役に立
ったということはあまり聞いたことがない。世間の人もそんなものだろうと考えているのかもしれな
い。だから後理屈のそしりはまぬがれられない。そうした理論でお金持ちになったというのはケイン
ズぐらいか。もちろんお金の問題ではなく学問として考えているのだとの反論もできる。やたら数式
を物理学でもないのに使ったりして幻惑させようというのか。笑止千万と感じる方もいるのではない
か。だが本書はそうした経済学とはひと味ちがう趣がある。そもそも経済学とはなにか。
『経済学は突き詰めるとインセンティヴの学問だ。つまり、人は自分の欲しいものをどうやって手に
入れるか、とくに他の人も同じものが欲しいと思っているときにどうするか、それを考えるのが経済
学だ。経済学者はインセンティヴが好きである。』
つまりなにが人々を駆りたてるのか。そのなにとはインセンティヴだと経済学者はいう。成績があが
ってほめられた。それがうれしかった。となれば「ほめられること」がインセンティヴになる。なに
か別のモノやお金の場合もあるだろう。身近なところでは、日本の相撲を取りあげている。多くの日
本人はプロレス興行とそうちがってはいないと思っているのではないか。つまりは興行だし八百長も
あるだろうと。そういう世界のことを真面目に議論するのも変な話だ。だが相撲は國技だからそんな
ことはないという。いつから國技になったのか。実はそれは興行をおこなう場所が國技館と称される
ようになったからという笑い話のようなことなのだ。統計的に八百長は証明できると本書は書く。千
秋楽にみる7勝7敗の力士の勝率はどのぐらいかをみればわかることだ。勝ち越しと負け越しでは雲
泥の差がでる。すこぶるインセンティヴが働きやすい。そこで7勝7敗の力士と8勝6敗の対戦成績
を調べてみた。
『過去の対戦結果から見て、7勝7敗の力士が勝つ確率は半分をほんの少し下回る。これは納得がい
く。その場所の成績も8勝6敗の力士がやや優勢だと示している。ところが実際には、7勝7敗の力
士が8勝6敗の対戦相手に10番中ほとんど8番も勝っている。』
実際の勝率は79.6%であった。明快な結果がある。しかし、これはだれもがすうす感じていたこと
だ。他にもいろいろと興味深い事実を掘り起こしている。興味がある方は本書を読んでいただきたい。
なるほど、経済学って役に立つんだということが分かるはずである。

「江戸の下半身事情」 永井義男 祥伝社新書 ★★★★
江戸時代ということばのイメージといえば、国盗りの戦国時代を経ての天下泰平というあたりだろう
か。元禄文化、浮世絵、参勤交代などなどもうかんでくる。最近のそうでもないが、日本は性的に閉
鎖的、儒教的な国と思っていた。いや、思わされていたのかもしれない。だが本書を読んで、すこし
考えを改めなければと思う。江戸時代というか日本も性的に奔放なところがあったのだ。性は解放的
である、に限るのではないか。すくなくとも言論的、思考的には。ただ開けっ広げはプライバシーの
なさにつながる。イザベラ・バードもこれには閉口したようだ。「日本紀行」に書いている。
『しょっちゅう襖が音もなく開き、何対かの細長くて黒い目が隙間からじろじろ見るのです。それと
いうのも右側の部屋には日本の家族二組が、左側の部屋には五人の男性がいたからです。
 ……
部屋の一方でひとりの男が甲高い声でお経を唱えはじめたかと思うと、もう片方では少女がギターの
一種である三味線を鳴らしはじめたのです。宿じゅう話し声と水のはねる音にあふれ、外では太鼓を
打ち鳴らしています。通りからは数え切れない叫び声が聞こえ……。』
こうした日本家屋特有のプライバシーのなさは別のことにもつながっていく。筆者は考察する。
『あとで詳説するが、江戸時代は売春が驚くほど盛んだった。これは、住環境が劣悪だったことも大
いに関係しているのではなかろうか。男たちは、性の楽しみを外に求めたのではなかろうか……。』
また将軍や大名には側室がいたことは映画などでよく知られている。跡継ぎを確保するためである。
側室の子だからといって特別に差別されることもなかったようだ。ちなみに、江戸時代の十五人の将
軍のうち正室から生まれたのは三代の家光と十五代の慶喜だけで、他はすべて側室の子だ。庶民のあ
いだでは妾がある。その立場は似て非なるもの。妾は囲者ともいう。
『江戸時代、妾は女の職業だった。口入屋という職業斡旋所を通じて、富裕な商人などが年季と給金
を取り決め、雇った。きとんと、契約の証文も取り交わす。
 …
 世話焼きの婆さんが個人的に妾を紹介することもあったが、その場合でもきちんと証文を取り交わ
し、婆さんはちゃんと手数料を取った。女の側からすれば、「妾奉公」だった。』
世界で最古の職業は売春婦といわれるが、江戸時代は契約に基づく妾という職業が成立していた。そ
れも現代よりもすすんでいると思われる面もあるようだ。このように江戸時代の性風俗を読んでいる
と、一部キリスト教というかカソリックのがちがちの教義には違和感がでてくる。もちろん禁欲主義
を否定するものではない。だが禁欲はその裏返しの気持ちが隠れていたりするものだ。それゆえの弊
害もでてくるのではないかとも思う。読みながら、なるほどそういうことか、ああ勘違いしてたとい
うことが多々あった。事実は事実として受け入れるというのは実はむずかしい。自分では気づかない
うちにそこに価値観を付け加えて理解してしまう。映画の羅生門はその映像化だ。ではどれが正しい
のかというのは愚問である。すべてある意味正しい。だから問題は解決するのが困難なのだ。昨今の
慰安婦問題もそいうものを含んでいる。強制されたという側があれば、単なる売春婦ではないかとい
う見方もある。しかも高給取りだったとか。職業に貴賤はない、ともいわれる。


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漁港で読書
どぎついともいえる鮮やかな色の大漁旗が林立したなびいている。どの漁船もお正月に向けた化粧な
おしをすませているのだ。そんな風景の師走の漁港を自転車で通りぬけていく。人っ子ひとりいない。
ときおり犬が飛びだしてきて吠える。よしよしと言いながらなおもペダルをこぐ。はずれの堤防まで
やってきて止まる。車体をもたせかけてひと休みしようと思った。冷たい風が海から吹いてくる。思
わずぶるっとふるえるほどだった。それでも風を避けて本を開いてみるのだった。かじかむ手でペー
ジを繰りながら読む。だが考えているのはまるきり別のことなのだ。あれは正しい決断だったのだろ
うか。そうすることが最善であったのか。なんども反芻してきた。どこかに背中を押してくれる一節
を見つけだそうとしているのか。無駄な行為だということはわかっている。だが、それならなにに求
めればいいのか。ふと気配を感じた。そこに人の姿はなく、黒猫がじっとこちらをうかがっていた。

N0091海の幸

「地球温暖化を考える」 宇沢弘文 岩波新書 ★★★
地球温暖化はいわれて久しい。その間にも大気中の二酸化炭素濃度は上昇している。おもに化石燃料
の消費にその原因があるといわれている。となれば産業革命がおこなわれて以降に顕著になってきた
ということだ。じつはおよそ46億年前に地球が誕生して以来、熱くなったり凍結したりを繰り返し
ている。そして現在は間氷期と考えられている。どうしてこういう周期をくりかえすのか正確にはわ
かっていない。そんななかでの人為的な地球温暖化なのである。二酸化炭素の排出と経済活動は密接
につながっている。先進諸国ほど生活レベルが高く当然排出量は多くなる。途上国はこれから工業化
し豊かになりたいなかでのこの問題だ。認識の差がでるのはあたりまえである。どちらにも言い分が
あるのだ。これを経済問題として解決しようとする。排出量の枠を買うというのだ。排出量というの
はゼロサム・ゲームなのか。はたしてこれでいいのか。単純にいえば、二酸化炭素の排出量を少なく
するにはちいさな経済でやっていけばいい。だが、経済は後戻りできない。二律背反だ。プラス面が
あればかならずマイナス面もある。どちらをみてものを言うのか。
『中国、インドをはじめとして発展途上諸国が、すべてアメリカと同じように大量の化石燃料を使う
とすると、大変なことになるのは目に見えています。しかし、そうだからといって、発展途上諸国に
対して、化石燃料を使うのをふやすなという権利はだれももっていません。』
現実的にはほかにもいろんな問題を人類はかかえている。エネルギーの問題がなんといっても一番大
きいのはだれもがわかっている。原子力発電は二酸化炭素排出量がらみでは優等生である。しかし、
放射線被曝による人体への影響は人々を不安にさらす。地震が多発する日本ならではの悩みでもある。
『現在、自動車の交通事故など、日本全体で、毎年一万人以上の死亡者と百万人近い負傷者が出てい
ます。人間の犠牲という点からみると、自動車による被害は、阪神大震災が毎年二回おこっているこ
とになります。』
こうした事実を知ったとしても放射能の恐怖は減少しない。ヒトはこれからどうして生きていくのが
いいのか。地球上の生物全体の問題としても考えなければならない。
『生物の多様性は人間の生活にも直接大きな関りをもっています。たとえば、現在使用されている医
薬品のうち、三分の一以上が、熱帯雨林のなかに生きている植物、動物や、土壌のなかに生存してい
る微生物を原材料としてつくり出されたものです。また、植物や、動物の伝染病に対する抵抗種も、
その多くが、熱帯雨林のなかから発見されています。』
エネルギー問題はいろんな多面的問題をかかえてもいる。
『地球温暖化の主な原因は、大気中への二酸化炭素の排出ですが、二酸化炭素そのものはまったく無
害で、直接人の健康に被害を与えるものでもなく、また植物の生育に欠くことのできないものです。
したがって、二酸化窒素や硫黄硫化物とは違って、二酸化炭素の排出を規制することは必ずしも容易
ではありません。』
単純な問題ではないことは一目瞭然だ。だが政治家は問題を単純化して民衆をあおる。人々ひとりひ
とりが真摯にこの問題を考えなければならない。これからの世代にマイナスの遺産を受け継がせない
ためにも。

「切羽へ」 井上荒野 新潮社 ★★★★
切羽へ、とある。炭鉱などで掘削がおこなわれる現場を切羽という。切羽詰るということばもある。
そんなことを思いながら読みすすめていく。かつては炭鉱で栄えた島に暮らす養護教諭のセイと絵描
きの夫がいる。ふたりとも東京で生活していたこともあるがもともとはこの島の出身である。文中の
ことばから九州あたりかとも思うが、伊豆諸島のようでもある。まあフィクションだから気にしない
ほうがいいが、ことばが気になる。島の生活というのは単調といえばそうだ。だから新たな者がやっ
てくれば目を引く。新任の音楽教師は石和聡といった。どこか変人の雰囲気を漂わせている。どこか
の島の出身だというがはっきりとしない。あえてだれもそこを追求もしない。奔放な性格の同僚教師
月江もまじえて物語りはながれていく。恋愛小説のようでも少女小説のようである。小説をカテゴリ
ー別けしようとすることに意味はない。小説はおもしろいかおもしろくないかだ。もちろん、個々の
読み手にとってでいい。断然おもしろいと思う。ただ、おもしろくないという人もいるだろうなとい
う感想をもつ。井上荒野さんの小説にでてくる人物造形が好きだ。こんな人はいないだろうと思わせ
る。だがよく考えると、ああいるなとも思う。そこらあたりの微妙さも好きだ。セックスは人の世に
ついてまわる。それを恋愛といいかえてもおなじである。禁欲的な教条をふりかざす人は反語的でも
ある。そう力みなさんなといいたい。腐敗を糾弾する人のなかには腐敗にあずかれない不満の捌け口
としているものもいる。人なんてある意味同根なのだ。それをどう表現するかが作家の力量というこ
とになるのだろう。だが、先回りしてよく読み(考え)もしないで批判する人はいる。それも人生の
うちであることはいうまでもない。セイの父は医者だった。島民の信頼も得ていた。
『母が父の誕生日に贈った木彫りの像。母はこれを、トンネルの跡で見つけたのだ。こがんものばあ
んたはよう見つけてくるねえ。呆れたようにも、愛おしげにも聞こえる声で父が言うと、母は答えた。
 切羽までどんどん歩いていくとたい。』
ことばはモノを通して語りかけてくる。モノとことばの結びつきは恣意的でもある。モノを通してあ
るなにかを感じるということはありそうだ。そんなことも考えてしまう。島国根性という。島と大陸
のちがいはなにか。地球上の七割は海が占める。ならばすべて島である、と言っていえなくもない。
なにがなんだか、という混沌を人は感じながら生きているのだろうか。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌



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Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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