ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ねむり舟で読書
舟の号は「子守り舟」だったかもしれない。いまはどっちだったかはっきりとは思いだせない。コン
クリートの護岸に引きあげられていた。遠くからながめれば白い舟でメルヘンチックだ。ちいさな伝
馬船くらいしかない。だれかがいつのまにかそう名づけていた。波にゆらゆらうかぶイメージがあっ
たのだろう。舳先に腰掛けて、読書したりした。ただただ寄せてはかえす波音のなかでのことだ。文
章は海とは関係がないのだが、なぜか思いは海につながっていく。聞こえているのに意識にはのぼら
ない。やはり聞こえているんだ。そんな経験をしたことがあった。あれとおなじだな。視覚にもおこ
る。見ていた記憶はないのだが、見ていなくてはおこせない行動をとる。聞いていなければわからな
いことが分かる。読んだことを覚えていないことが、ことばになって口からでてくれば、それは前世
の記憶になるのだろうか。忘れているのではなく、無意識下のことってわからないことが多いものだ。

N8766はるか佐柳島

「同性愛の謎 なぜクラスに一人いるのか」 竹内久美子 文春文庫 ★★★★
キンゼイ報告やその他のいくつかの調査では、男で同性とのみ関係を持つという割合がおおむね四%
の数値を示す。つまり、クラス(25名だと)に一人程度ということになる。ちなみに女性同性愛者
の割合は、男性同性愛者の約二分の一~三分の一くらい。さて、男の性フェロモンと考えられている
AND(アンドロスタジエノン)は男の汗の中に多く含まれていて、これに対して女性異性愛者はも
ちろん男性同性愛者も性的に興奮する。このANDは男性ホルモンの代表格であるテストステロンが
少し変化しただけの物質である。ただ、性フェロモンとはそもそも匂いとして感じられないほどの低
い濃度でも脳が性的に興奮する化学物質だということである。
『ANDは男の、精液やだ液にも少量含まれるが、汗に一番よく含まれる。それもわきの下や乳首、
下腹部、肛門の周りなどにあり、そこに生えている毛と、分泌物の出口がセットになっているアポ
クリン腺から出てくると考えられる。』
汗腺にはエクリン腺とアポクリン腺の二種類ある。このアポクリン腺は水やミネラルだけでなく、脂
質やタンパク質なども排出しその中にANDも含まれているはずなのだ。ただ、エクリン腺もアポク
リン腺も分泌物自体にはほとんど匂いはない。皮膚に住みついているいるバクテリアによって分解さ
れてはじめて臭い匂いを発する。だから、ANDと汗臭いにおいとは直接的な関係はない。ただ、条
件反射的な学習があるのかもしれない。しかし、進化の過程で同性愛的志向は淘汰されるのではない
かという疑問は残るだろう。それに対してはこういう解釈があるのだ。
『とにかく女の繁殖力を高める遺伝子があったとする。それが男に乗った場合には、彼を同性愛者に
する確率を高め、子を残すうえで不利にするが、それは彼の母方の女における大いなる繁殖によって
十分に相殺され、その遺伝子が残ってきている。そしてこの、女の繁殖力を高める遺伝子こそが、男
性同性愛遺伝子の正体である……。』
というようなことらしい。これにどう進化論的解釈をほどこすのか、まだ決着はついていないらしい。
しかし、まあ現実は同性愛者がいなくなる気配はなさそうではある。本題とは別に、オキシトシンと
いうホルモンが最近、大変注目されているという。ではどんな働きがあるというのだろう。
『オキシトシンは単に体に触れられること、接触刺激でも分泌される。マッサージ、指圧などでリラ
ックスして気持ちがよくなり、ときには眠ってしまうのは、単に血流がよくなるとか、凝りがほぐれ
るからだけではない。これらの刺激がきっかけとなってオキシトシンが分泌されるからだ。
 しかもその際、触れられる側はもちろんのこと、触れる側にもオキシトシンが分泌されるというか
ら驚きだ。』
これで、女性をハグする言い訳ができたというのは早計である。すべての行為、感情は複合的な条件
のもとに起こるので自分に都合のいいように理論を変換して敷衍しないようにしなければならない。

「デビルズ・ピーク」 デオン・マイヤー 大久保寛訳 集英社文庫 ★★★★
本書は南アフリカの社会派ミステリ作家であるデオン・マイヤーによるものだ。南アフリカ第二の都
市であるケープタウン周辺を舞台として三つのストーリーが語られる。まず、牧師に告白する若く美
しい娼婦、クリスティーンの場面からはじまる。続いてすぐに、息子を殺されたトベラ・ムバイフェ
リの憤りに燃える光景へと変わり、またまた、アル中で家庭崩壊を起しそうな警部補ベニー・グリー
セルの話に切り替わる。この三つのストーリーがいつかつながっていくのだが、まず南アフリカの現
状についての紹介がある。南アフリカでは死刑は廃止されている。逆にいえば、どのような卑劣な犯
罪を犯そうとも死刑になることはない。犯罪者もこのことをよく知っている。だから息子を殺された
トベラは子ども相手に犯罪をおかす者たちをつぎつぎと処刑していった。それもアセガイとよばれる
槍での殺害である。このリンチをトベラはどう考えているのだろうか。
『トベラはページをめくった。三ページ目に、ラジオ局の電話世論調査の記事が載っていた。死刑は
復活すべきですか?リスナーの八十七パーセントが「はい」と答えていた。』
だれかがやるしかないのだ。死刑廃止論者は死刑は殺人犯罪抑止力になりえないという。だから、人
が人を殺すような野蛮な死刑制度は廃止すべきだという。死刑制度を廃止すれば、殺人は減少するの
か。いや、それとこれは別問題だという。トベラは理不尽だと思ったのだろうか。しかし殺された側
はいつまでもそのことを忘れることはできないのだ。また別の被害者がでないようにと思ったのだろ
うか。むずかしい問題だ。死刑廃止論者は、たとえば自分の妻や子どもが殺されても死刑はいけない
というのだろうか。サイコパスのかっこうの標的になるかも知れないから心配だ。ゲーム理論によれ
ば、最適解は「やられたらやりかえす」だ。人は理性的な生き物だからそれはない、というのか。理
性と人々の本音はいつの日も相反している。それはともかく、ストーリーは後半になって急激な展開
をみせる。三者がつながりをみせはじめるところは圧巻である。手に汗にぎる。気をもむ。どうする
つもりなのか悩む。しかしものごとはあっという間に終わってしまう。じっくり考えるひまなどない
ということがわかるだろう。すぐに対処できるようにふだんからの訓練が重要なのだ。しかし、なか
なかに読ませるし考えさせられる作品でありました。


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潮溜まりで読書
旅の途中で海が見える休憩所に立ち寄った。そこから海岸へと降りていく小径があった。下ったとこ
ろからゴロゴロした岩場になっている。ころあいの岩に腰かけて海をながめる。潮に混じってすこし
海藻らしきにおいもする。引き潮らしく、あたりは潮溜まりがところどころにできていた。しばらく
本を読んだりお茶を飲んだりしていた。ふとピチャッと音がしたと思った。足元をのぞいてみると、
カニがそそくさと岩陰へと走っていく姿がみえた。潮溜まりのなかにはちいさな魚が泳いでいる。屈
みこんでじっとさらに観察する。砂地のなかに保護色をした魚が潜んでいたり、ちいさなエビがはね
ていたりする。この潮溜まりはこれらの生き物の宇宙だな。いろんな生物が共生している。それに比
べてヒトは進歩しているのかどうか。さらには自分自身のことにも思いは回帰する。立ちあがって沖
の方をながめたら白い浪がたっていた。陽炎のなかでゆれるタンカーの姿も見えかくれした。

N8699沖行くタンカー

「海馬 脳は疲れない」 池谷裕二 糸井重里 朝日出版社 ★★★★
脳といってもいろんな部位がある。大脳、小脳、脳下垂体などそれらはどんな役割をになっているの
だろうか。池谷さんはそのなかの海馬(かいば)についての研究に明け暮れているのだそうだ。糸井
氏から、頭がいいけど嫌いなやつのことは、ほんとはバカなんだと思っているという発言をうけてこ
う答えている。
『それはおもしろいです。「頭の良し悪し」の基準を「好き嫌い」だと考えるとすっきりしますし、
当たっている気がします。
 根拠もあるんです。脳の中で「好き嫌い」を扱うのは扁桃体というところでして、「この情報が要
るか要らないのか」の判断は海馬というところでなされています。
 海馬と扁桃体は隣り合っていてかなりの情報交換をしている。つまり、「好きなことならよく憶え
ている」「興味のあることをうまくやってのける」というのは、筋が通っているんですよ。感情的に
好きなものを、必要な情報だとみなすわけですから。(池谷)』
この海馬だが、起きている間だけではなく寝ているあいだにもすごく活動しているという。どういう
ことかというと、眠っているあいだには夢をつくりだしているのだそうだ。つまり情報の整理をして
いるということがわかってきた。睡眠は、きちんと整理整頓した情報を記憶するプロセスなのだ。こ
れはとても重要なことで、睡眠を強制的に奪われると幻覚を見る。このことは経験的に知られていた
のだろう。究極の拷問は眠らせないということで、そのせいで発狂に至ることもあったという。
『毎日のリズムを崩すことが海馬に非常に悪影響を与えることもわかってきました。時差ボケのよう
な状況に陥ると、ストレスで海馬の神経細胞が死んでしまうという実験結果が出たんです。(池谷)』
規則正しい生活というのは、そういう意味では理にかなっている。じゃあ、どういうふうにすると、
扁桃体や海馬、つまりは脳がよりはたらくようになるのかという疑問がわいている。
『脳をはたらかせる細かいコツは、たくさんあります。ブドウ糖を吸収したほうがいいとか、コーヒ
ーの香りが脳のはたらきを明晰にするということも言えます。あとはたとえば、前に言った「扁桃体
と海馬がお互いに関係し合っている」ということで言うと、扁桃体を活躍させると海馬も活躍します。
 扁桃体をいちばん活躍させる状況は、生命の危機状況です。だから、ちょっと部屋を寒くするとか、
お腹をちょっと空かせるという状態は、脳を余計に動かします。寒いのは、エサの欠乏する冬の到来
のサインですし、お腹を空かせるのは直に飢えにつながりますから。』
なにごとも過ぎたるは及ばざるが如しの心境でいくしかないですね(笑)。

「幕末下級武士の絵日記 その暮らしと住まいの風景を読む」 大岡敏昭 相模書房 ★★★
江戸時代の武士はどんな生活をしていたのか考えると、うかんでくるのはテレビや映画の時代劇の一
コマだったりする。どうもあれが真実かどうかは疑わしい。ことばだってよく聞いていると、現代に
しかないような単語や言い方だったりで信頼するには足りない。暮しぶりというようなことは、逆に
とりたてて文章に書き残すこともすくない。しかし、やはりなかにはそういうことを書き残す御仁が
いたのである。ああ、よかったと筆者も思ったのであろう。おまけに絵入りである。江戸から北に十
五里ほど離れた関東平野の一角に小さな忍藩(おしはん)十万石の城下町があった。そこに尾崎石城
という下級武士がおり、彼は「石城日記・全七冊」を残したのだ。江戸時代といえば、士農工商と厳
密に階級が決められていたようだが、実態はどうだったのかも気になる。また、武士の実生活、収入
はどうだったのか。藩の規模は石高であらわされる。たとえば加賀十万石とか。そのなかで下級武士
と呼ばれるのはどのようなひとたちなのか。こう解説されている。
『藩によって身分の仕組みが異なるが、概ねどの藩でも扶持取りの武士がそれに当てはまる。しかし
知行取りにしても、五十石未満では扶持取りとそう変わらない。たとえば石城は十人扶持であったが、
それは年収にして十八石である。一方知行取り三十石といっても、年貢率が六つ(割)とすると、実
収入は十八石ほどで石城と同じぐらいとなる。しかも収入はその年の米の出来高によっても変動する。
またわずか五~十石の知行取りも多くいるが、その石高では石城の収入より低い。したがって下級武
士とは、ほぼ五十石未満の知行取りと扶持取りをいうのが妥当であろう。』
中級武士で禄高百石前後、いまの年収にすれば約四百万円に相当する。ということは下級武士では百
万円をすこし上回る程度ということになる。しかし住まいは藩からの拝領であり賃貸料は払わなくて
もいい。で、なんとか家庭菜園などやりながら暮らしていたということであろうか。しかしこの日記
によるとその実態はすこしちがっている。
『石城は友人宅を毎日のように訪ねる。そこに彼らがいるということは友人たちもふだんの多くは家
にいたことになる。またそこには石城のほかに多くの下級武士、寺の和尚、町人たちも集まってくる。
下級武士の登城勤務は少なく、ふだんは友人たちとでさまざまな交流と催しが家でおこなわれていた
のである。』
本書を読んでいると、石城は友人宅や寺に行っては酒を飲む。そして酔っぱらってはしばしば泊まっ
ていく。そこには町人たちもまじっているのだ。江戸末期であるからかどうか、士農工商の厳格な区
別は市井の生活のなかではあまりなかったかのようだ。またそえられている絵がなかなかに興味深い
のである。


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ダム湖で読書
日本ではダムといえばほとんどが重力式コンクリートダムである。よくある形式だ。有名な黒部第四
ダムはアーチ式コンクリートダムだ。他にはロックフィルダムの御母衣ダムがわりあい知られている。
それはさておき、そのときなぜダム湖に来たのかいまではよく覚えていない。そろそろ暑くなりかけ
る季節だった。あたりは緑がしたたるような光景がひろがっていた。滲んできた汗にそよ風がこころ
よい。堰堤のうえから湖面をながめる。波紋がしずかにひろがっていく。こんなところまで来たんだ
と他人事のように思った。湖岸にあるベンチは木陰になっておりちょうど休憩するにはよかった。本
を読もうとして取り落とした。足元の芝生からはずれた土の部分を蟻が忙しそうに動きまわっていた。
アリとキリギリスの寓話が思いだされる。俺はキリギリスということになるのか。しばし考える。空
を見あげる。青い空には白い雲だ。うーんと唸って、くるりとベンチにひっくりかえり天を仰いだ。

8182千苅堰堤

「微生物が地球をつくった」 ポール・G・フォーコウスキー 松浦俊輔訳 青土社 ★★★★
この地球に最初にあらわれた生命体は微生物であるが、それが歴史上の認識となったのは最近のこと
なのだ。肉眼では見えないものだからそれもしかたがない。いまも地球上の生命体で多数を占めてい
るのはバクテリアたちだ。数量的にも重量でもである。熱水が噴出する海中などの環境中にも存在す
るという。そこから進化の枝がひろがっていったというわけだ。
『微生物は地球上で最古の自己複製する生物なのに、見つかったのは最後で、ほとんどの間知られて
いなかったというのは、たぶん、生物学の中でも大きな皮肉の一つだろう。微生物発見の歴史は、科
学史の多くの話と同じく、新しい技術の発明に基づいている。この場合は顕微鏡とDNA配列決定装
置である。この種の生物に目が向かなかったのは、主として私たちの観測にかかるバイアスによる―
―目に見えないものは無視してしまうものだ。』
もちろんヒトの体内にも微生物は存在している。大腸菌や乳酸菌などはよく知られている。ある意味
共生しているということだ。なかよく生きるというのは重要なことだと思う。
『微生物は陸上植物の登場より何十億年か前に太陽のエネルギーを通じて水を分解できる複雑なナノ
マシンを進化させていたが、それができる微生物が最初に登場したのがいつかについては、まだ非常
に不確かな構図しか得られていない。というと、いささか意外かもしれない。酸素を生み出せる光合
成をする微生物で残っている原核細胞生物のグループは、藍藻類(シアノバクテリア)だけだ。』
生物多様性などといわれるが、是非その考えを微生物にまで拡張してほしいと思う。すべては複雑に
入り組み構成されている地球の生命連鎖があるのだから。以下のようなことは現代の悩ましい問題な
のだが、世間の認識はまだまだそこまでいっていない。これからの世代がすこやかに生きれるように
と思うのだ。
『二〇世紀の半ばには、抗生物質を家畜に投与すると肉や乳の生産が増大することも発見された。ア
メリア合衆国で消費される全抗生物質のうち約八〇パーセントは、人間の健康のためではなく、家畜
による生産のために用いられている。実は、今やとくに畜産業でいろいろな抗生物質が用いられてい
るので、多くの微生物が普通の抗生物質には免疫になってしまっている――そうしてまた人間を死に
至らしめるべく反抗しつつある。』
薬はとくにそうだが、毒と薬は紙一重ということをもっと真剣に考えるべきだ。なにご
とも裏と表があると考えるべきで、すべてがいいということはない。それを忘れるといつかしっぺ返
しがやってくるのだが、それを含めて生きるということなのだろう。原発反対もそこらあたりの感覚
が欠けているようでなんとも頼りない。

「だりあ荘」 井上荒野 文藝春秋 ★★★★
ペンション「だりあ荘」を営んでいた両親が車の事故で死んだ。カゴを編むための山葡萄の蔓を採り
に出かけてのことだった。二人一緒に峠の難所から車で落ちた。慣れた道だったはずなのだが。夫婦
には一緒に暮らしていた姉の椿と、迅人(はやと)と結婚して東京住まいの妹の杏がいた。「だりあ
荘」は一年の休業の後、妹夫婦が継ぐことになった。両親は東京のマンションを売って、この山奥の
ペンションを買っていたので、ここが実家でもある。隣のペンションが売りにだされとき買って住ま
いとしていたので椿はそのままそこに住むことになった。迅人はいわゆるエリート社員だったのだが、
指圧師になるためあっさりと会社を辞めた。同じ会社にいた杏も後を追い、ふたりは付き合いをはじ
めて結婚したのだった。迅人は治療院を構えず呼ばれた場所へ治療しに行くかたちだったので引っ越
しにもすんなり同意した。杏夫婦にはこどもはできなかった。杏が不妊症であるらしかった。だから
子犬を飼うことになったときには、この子犬が夫婦のきずなを強くするとも思えた。椿にはお見合い
をしてつきあっている新渡戸さんという男性がいた。椿のことは、みんなが美人だとほめた。だが、
ふたりは結婚する気配もなくいつまでもつきあっているのだった。ペンションは順調に経営を続けた。
そこでバイトの青年を雇うことにした。翼、二十四歳。一人旅をしているという。バイトしながらと
いうことでどんな仕事でもそつなくこなした。こうして「だりあ荘」では男女四人の生活がはじまる。
じつは椿と迅人は東京で会ったときから一線を越えていたのだ。そのふたりが同じペンションで暮ら
しはじめる。杏の目を盗んでは密会を重ねていた。もちろん、杏もなにも気がつかないわけがない。
しかし、疑念は抑えこまれていた。椿は不安であった。妹に知られたらどうしようか。だが、迅人の
誘いを断ることができなかった。こういうことはたいてい当事者以外に知られている。だが、確たる
証拠はないというだけだ。そして言わないながらも翼もうすうす感づいているのではないかと思われ
る。それが椿には苦しい。杏もなにかおかしいと思うときがあるが、なにもないと信じた。思い過ご
しなんだと。あるとき母親の同級生だった夫婦が泊まっていた。そのご主人が言った。
『「この姉妹は足して二で割るべきだな」
 とご主人が感想を述べて、再び笑い声が起きた。
 そのとき椿はぞっとした。この世界で自分は一人きりだ、と感じたのだ。もっとも、そんなふうな
孤独を感じるのははじめてではなかった。ぞっとしたのは、同じ孤独を、同じ深さで、杏も感じてい
るに違いない、と突然気づいたからだった。』
井上さんは不倫とかという問題を書いているのではない、と思う。生きるにともなっていろんなこと
が起きるだろう。こういうことは当たり前には世間にないかもしれない。だがあることも確かである。
生きるとはこういったことすべてを潜り抜けていかなくてはならない。否、対峙することもある。人
はときどき動物の世界などに倫理的な理想世界を描こうとする。だが動物界には不倫という概念はな
いと知る。つまり結婚というものもない。あるのはどうすれば子孫を残せるか、ということだけ。不
倫、それは人のみがつくりあげたものなのだろう。だからといって、不倫を奨励しているわけではあ
りませんよ(笑)。人類学的な関心があるだけです、とでも言うべきか。


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用水路で読書
あるとき、田園地帯をあるいていた。田には水がはられ、これから田植えがはじまるのだろう。木立
ちがあり陰になった場所があった。そこに腰をおろして休憩することにした。脇にコンクリートの用
水路がはしっていた。そっとのぞきこむと、いきおいよく水が流れていた。つくられたばかりのよう
で、灰色の地肌そのものだ。藻や水草、小魚もみあたらない。ただ、どうどうと水がながれていくば
かりだった。顔をあげると、空の青さが眼にしみた。草のうえに寝ころんだ。身体がバキバキと音を
たてるようで、痛さが気持ちよかった。ふんわりとした風がほほをすぎる。ズボンのポケットから煙
草を取りだしてマッチで火をつけた。煙がゆっくりとたちのぼっていく。ふと列車のなかで読んでい
た本のことを思いだした。あわててリュックからとりだした。しおりを挟んだ箇所をそっと開いた。
そこには短歌が一首。「マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」

N9213霧のなか

「日本語の乱れ」 清水義範 集英社 ★★★
短編集だが、やはり表題にある「日本語の乱れ」がおもしろい。ラジオ番組でのことである。聴取者
に気になる日本語の乱れがあれば番組あてに送ってください、と提案した。すると思いのほか反応が
よくて投書がどんどんどやってきた。ことばの乱れが気になる方は多いのだ。特に六十歳以上の老人
からの投書半数以上になったという。おもしろいのを抜粋してご紹介しよう。
『「テレビのアナウンサーともあろう者が、『他人事』を『たにんごと』と読んでおった。もちろん
『ひとごと』に決まっておるではないか。なげかわしい」東京都 男性 七十六歳。』
これはよくあるやつですね。訃報を「とほう」と読んだアナウンサーが現実にいました。思いだしま
した。そういうことってありがちじゃないですか(笑)。
『「『とんでもない』という言葉を、ちょっとていねいに言ってるつもりで、『とんでもありません』
と言う人がいる。もっとていねいにしたつもりで、『とんでもございません』とか。実にとんでもな
い間違いである。『とんでもない』は“とんでも”が無い、と言っているのではない。だからていね
いにしたって、ありません、にはならないのである。『みっともない』『かたじけない』と同じ成り
立ちの言葉で、『みっともありません』『かたじけありません』とは言わないだろう。それとも若い
人などはそう言うようになっているのだろうか。『とんでもない』をていねいに言うとすれば、『と
んでものうございます』か『とんでもないことでございます』となるだろう。
 ところで、『とんでもない』の“ない”はまた、否定の助動詞の“ない”でもない。『わからない』
『知らない』の“ない”とは違うのだから、『とんでもぬ』にもならないのである。
 それなのに近頃、『おぼつかぬ』という言葉を使う人が出てきているのにはあきれる。『正確なと
ころはどうもおぼつかぬ』なんて。『影を慕いて』という歌の中に、『月にやるせぬ わが想い』と
いう詞があり、それが有名な誤りだということを近頃の人は知らないのであろう。『やるせない』は
『やるせありません』にも『やるせぬ』にもならないのである」東京都 男性 七十歳。』
なるほどなあ、なんてちょっと反省したりしました。では最後にこんなのはどうでしょう。
『「『えんどうまめ』という言葉を使う人がいるが間違っている。『えんどう』を漢字で書けば『豌
豆』であり、『えんどうまめ』というと『豌豆豆』ということになってしまうのだぞ。『あずきまめ』
(小豆豆)とか『だいずまめ』(大豆豆)とは言わないように、『えんどうまめ』も言ってはダメ」
東京都 男性 七十歳。』
なんだか笑えてくるでしょう。これ川名の英語表記にもあてはまるよなあ、なんて思いますね。

「それでも、読書をやめない理由」 デヴィッド・L・ユーリン 柏書房 ★★★★
ユーリン氏にとって読書とはなんなのか。こう語っている。
『本は、パラシュートを開くひも、脱出用ハッチ、現実の人生から出ていく扉だった。どこへいくに
も本を持っていった。』
そこには広大なちがう世界があることを知ったのだ。それからは必然的に本がともだちになった。だ
がそのことはなにを意味しているのかと考える。そして知ることになる。
『重要なのは、読書を発見の旅ととらえ、自分の内面世界の発掘ととらえることだ。誰の本を読むか
はたいして問題ではない。ともかくはじめのうちは、思い切って読書の世界へ飛びこむことが大切な
のだ。』
本は未知なる自己を知り育てていく手助けになるのだ。何を読むかはそれぞれで自ずと身につく。新
たな発見、知見をそこに見いだすのに読書が役に立つ。自分で考えるのだ。ところが、現代の状況は
どうなっているのか。筆者はすくなからず危惧をいだいている。
『ほとんどの現代人は携帯用の電子機器を持ち歩き、それらは十年前の最高のパソコンよりはるかに
高機能だ。しかし、高機能な携帯機器はわたしたちを解放するどころか、むしろ休息の時間を秒単位
で削り取るようになった。何かにつけてEメールやフェイスブックやツイッターをチェックし、仕事
や娯楽関連のウェブサイトをチェックする。家族と一緒にレストランにいるときにも、車の中にいる
ときも。』
インターネットから始まったITの世界はわたしたちの生活を格段に変えた。時代はいつも変化して
いる。それは現代に限ったことではない。しかし立ち止まって考えてみようではないか。便利がすべ
てではない。そんなことはだれだってわかっている。短い人生のなかでなにが重要なのか。ときに考
えをめぐらすのは悪いことではない。なにか一辺倒になるのは危険だと歴史が教えている。
『二〇一〇年六月にアップル社は、会社全体の反ポルノ方針を理由に挙げて、『ユリシーズ』のウェ
ブコミックバージョンからコマをいくつか省くよう、制作者たちに強要した。登場人物たちが裸で登
場する場面だ。これはそのコミックがiPadのアプリショップで発売される直前のことだった。』
当然、非難の嵐が巻き起こった。だが、いまでは信じられないかもしれないが「ユリシーズ」は合衆
国で発禁になったことがあるのだ。ポルノをめぐる問題はむずかしい。「チャタレイ夫人の恋人」や
「北回帰線」はどうなのか。電子媒体の世界でまた再燃するかもしれない。本はグーテンベルクの印
刷術の発明でおおきく変わった。いまは電子書籍が登場している。どちらかがいい、ということはな
いと思う。それより読む、読書するとはどういうことかをこの機会に考えてみてもいいのではないか。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

野球場で読書
春先だったがあたたかい日だった。ぽかぽかとした太陽に照らされた外野の芝生席で寝ころんで本を
読んでいた。グラウンドでは試合前の練習がおこなわれていた。ときどきカキーンという音が響くが、
ノックでもやっているのだろう。それにここまで飛んできはしない。隣で友人も午睡をむさぼってい
た。すやすやとたてる寝息が春の空に舞いあがっていく。そのうち内野席で応援団らしき連中が声を
あげはじめた。だが、それも気にならない程度だ。すべてが遠いところでのことのように思えてなお
も本を読み続けていた。青い空、白い雲、赤い…。なんだ、あの赤いものは。だれもが空を見あげて
いた。飛行船のようだ。かなりの高度を飛ぶというよりは流れていく。やがてちいさくなっていった。
ときに訪れるこうした非日常があるが、いつものようにときは過ぎてゆく。ああよく寝たといって友
人が起きてきた。彼の顔をじっとみつめると、なぜか眉をそびやかすようにしてすこし笑った。

N9163ジョウビタキ

「ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女」 上 下 ダヴィド・ラーゲルクランツ
                   ヘレンハルメ美穂・羽根由訳 早川書房 ★★★★

「ミレニアム」は二〇〇五年に第一部がスウェーデンで刊行されて以来、全世界で三部作が累計八千
万部を超えている。第一部の「ドラゴン・タトゥーの女」は映画にもなったので知っている人も多い
だろう。だがこの物語の生みの親であるスティーグ・ラーソンは第一部が刊行されるのをまたずに心
臓発作で急死した。もともとラーソンは十部作にする予定だったという。だがそれも叶わない願いと
なった。ところが版元のノーシュテッツ社は、ラーソンの遺稿とは関係なくまったく新しい著者によ
る第四部を刊行すると発表した。それが本作である。はたして、うまくいったのか気になる。本国の
スウェーデンでは刊行から一週間で二十万部を売り上げたという。ちなみにスウェーデンの人口は約
一千万人である。読んでみた。確かにおもしろい。前三部作との違和感はそう感じなかった。
さて、前作から数年後、雑誌「ミレニアム」は経営危機を迎えていた。そんななか看板記者であるミ
カエル・ブルムクヴィストのもとにある男から話をもちかけられる。大スクープとなる情報を人口知
能研究の世界的な権威であるフランス・バルデル教授に会ってほしいというのだ。なんとそこには、
リスベット・サランデルも絡んでいるらしい。一方ではアメリカのNSA(国家安全保障局)では、
ある犯罪組織が産業スパイ活動にかかわっており、それを知ったバルデル教授の身に危険が迫ってい
ると分かってきた。教授はスウェーデンに帰国しており、別れた妻のもとから自閉症の息子アウグス
トを引き取ったばかりだった。その後、数年ぶりにパソコン上で再会したミカエルとリスベットは、
命を狙われるアウグストの身を守るために敵と闘うことになる。なぜアウグストが狙われることにな
ったか。彼はサヴァン症候群であることがある事実からわかった。犯行現場の映像記憶が彼にはあり、
完璧なスケッチを描くことができ、当然そこには犯人の姿も描かれていた。はたまた犯罪組織には、
なんとリスベットの二卵性双生児の妹カミラがリーダーであるらしいことも判明する。宿命の因縁で
結ばれた二人の対決はどうなるのか。事件はテンポよくすすみ、読むほうも一気に物語のなかに引き
こまれていくのだ。本ストーリーのなかには「人口知能」「ニューラルネットワーク」「量子プロセ
ッサ」「自閉症」「サヴァン症候群」「素因数分解」といった現代社会のキーワードといったことば
がでてくる。このどうしようもない世界にどう対峙していけばいいのだろうか。ストックホルム県警
犯罪捜査部警部のブブランスキーは気が重くなる。そんななかラビに聞いたことばとして彼は語る。
彼はまた敬虔なユダヤ教徒でもあるのだ。
『「医者がいうには、われわれが神を信じることが重要なのではない。そんなことに神はこだわらな
い。重要なのは、人生の大切さ、豊かさを理解することだ。われわれは人生をありがたく享受すると
同時に、この世界を良くする努力もしなければならない。そのふたつのバランスを見つけた者のそば
に神は御座します、と」』
まだまだ物語は完結というにはほど遠いのである。しかしながら、引続きダヴィド・ラーゲルクラン
ツによる第五部、第六部までの刊行が予定されているということなので、楽しみに待ちたい。

「匂いおこせよ梅の花」 池部良 中央公論新社 ★★★★
池部さんの筆は年齢とともにますます軽やかになめらかになっていく。大正七年(1918年)の生まれ
だからこの随筆を書きはじめたのは七十歳を越えていた。それから十年が経ってこの本が編まれたと
いうことらしい。歳がいくと愚痴や文句が多くなる、そんなあたりの観察が愉快である。「矍鑠」と
いう文章などそうした老人の特徴をよく描きだしていると思う。
『「矍鑠とは聞き捨てになりません」と叫んだ。
 総入れ歯だから、叫びにも迫力がない。
「矍鑠、とは耳も聞こえん、口も利けん、目も見えん、よぼよぼな老人がですな。それでも、気力体
力、旺盛であることの形容詞でありまして、老人を差別待遇する侮蔑用語とも受け取れます。鑠は、
鉄が赤く焼ける様のことですから、これは善しとして、矍の字は、驚いて左右を、きょろきょろ見る
意味であります。私は齢、八十三になりますが、さような、軽率にもとれる言葉で、私を評されるに
は、憤りを感ずるのであります」
 唾液が、奥さんの髪の毛と肩に、しとど降り注いだ。
「変なことだけ聞こえて。端たないですよ、あなた」と奥さんは、呟いた。
 一同、矍鑠が、老人差別用語に当たるのか、どうかと首を傾け、沈黙が漂った。』
「油断大敵」というのではこう落ちをつけている。書家の大家が息子が医科大学に入るとき、餞のこ
とばとして「油断は怪我の基」という句を奉書紙に書いてあたえた。七十八歳になって、あるお寺か
ら書の依頼があり出かけて、その折に滑って骨折したという。
『「どうして、滑ったの?」
 「いや、いつもだったら、足袋の裏を水で湿して畳にすべらないようにしていたんだが、その日に
限って、湿しておかなかったもんで、足を開いたら滑ってしまった。油断大敵。改めて肝に銘じたよ」
と言って私を見た。
 更なる油断は年を忘れていることだった。』
いつまでも若いつもりであっても、それは気持ちの方だけである。年寄りの冷や水といわれないよう
注意していかねばならない、と私も肝に銘じましょうか。


テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌



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遠くに眺めるのも好きです。
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