ムッシュの読書紀行
人生は旅のようだと言いますが、旅が人生かも知れません。 ぼくは活字中毒気味でもあり、旅はまだまだ続くでしょう。
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ゲーム時代
政治や経済などをモデルで考えるときにゲーム理論というのがある。
囚人のジレンマとかいうやつですか。

そうそう。
ほんとうに役に立つんですか。

だって所与の条件だけ入力してあとは自動的にすすんでいくんだよ。
だから、その所与の条件ってところにひっかかるわけですよ。

人生でもおなじようなことが多々あると思うけど。
それはありますよね。

N9505スイレンと虫

ふたりあるいはそれ以上の女性がいて、伴侶にはそのうちのだれが相応しいかと考えるときなど。
むずかしいですよね。

愛情を優先させるか経済か。
愛情というのも漠然としていますしね。

それなら、その女性の客観的数値を列挙してみる。
それ以外のこともあるんじゃないですか。

どういうこと。
いっしょにいると気持ちが落ち着くとか。

お母さんを求めているのか。
じゃなくて、価値観が共有できるとか。

切磋琢磨は嫌なのか。
そんなの疲れるでしょ。

つまり人には多様な志向があるからモデル化はできないというの。
生きるは不可逆的ですし。


ゲーム感覚
すべてをゲームから読み解く。
世のなかすべてのことをですか。

ゲームは政治・経済・社会・戦争・恋愛などあらゆる分野を包含している。
そういわれればそうかな。

ゲームは疑似体験といわれる。
たしかにそうです。

しかし、現実はというのも変だがゲームが実体験化しているのではないか。
ゲームをやる人の頭の中はそんな感じかもしれない。

ゲームが現実でなにか不都合がありますか。
あるじゃないですか。

N9509サルノコシカケ

たとえばどのようなこと。
だって現実はゲームのようには正解がないこともあるじゃないですか。

じゃあ、解がないゲームを作ればいいのでは。
それじゃあゲームとしてのおもしろみに欠けますよね。

そうかな、脳はどんどん複雑な難解なゲームを求めるようになると思うよ。
解けるか解けないかわからないような。

そうだよ、解けないとして解けないことを証明すればそれが解になるんじゃないか。
解けないゲームは人気ないと思いますよ。

やっぱりそうか。
ゲームは楽しくなくちゃ。


ゲーム中毒
電車の中でよくゲームをしてる人を見る。
けっこうみんな精神を集中してやってます。

なにかに追われているような。
人生の時間を削りながらですよ。

どういった心情でやっているんだろう。
なにかをしないではいられない。

そのなにかがゲームなのか。
脳はゲームを欲するから。

たしかにゲームってやりきった感が味わえる。
失敗しても、ゲームオーバーでまたやり直しできるから。

それも短時間、こまぎれの時間でもできる。
だから脳が快感を得たいときに、ついゲームをとなる。

とりわけ双方向じゃないゲームが好まれる。
つまり反撃されることはないってこと。

こちらからの一方的な攻撃のみ。
なんだかつらい人生を送っている人みたいだね。

そうかもしれないです。
せめてゲームのなかだけでも達成感、成功感を味わいたいという切なる願い。

そこまで考えているの。
考えるとかじゃないですよ。

本能的な嗅覚で進める。
こどもがマニュアルも読まないで機器を操作するのに似てますよねえ。

9342庭の百合


二段ベッドで読書
若いころに旅をするといえば、安いユースホステルがよく利用された。そこでベッドといえば二段が
定番である。知らない同士がおなじ部屋で眠る。それが嫌なら旅などできない。そんな時代であった。
どちらかというとベッドで寝るのが初体験という若者が多かった。子ども部屋が一般的ではなかった
から個室気分が味わえてうれしかった。下か上かどちらにとれるかは運次第である。あるいは性格に
よるかもしれない。兄弟なら上が弟で下が兄になるだろう。上座は下か。なんとなく可笑しさを感じ
る。早い時間に到着してチェックイン。さっそく二段ベッドの下段を占拠する。ごろんと大の字にな
って仰向けに寝ころぶ。おおきく伸びをすれば自由な空間が満喫できるのだ。リュックから本を取り
出して読みはじめる。聞こえてくるのは蝉の声ぐらいだ。はるかの世界へと旅立つことができるよう
な本を読んだ。いつしか夢か現かもわからない境地にいたる。世界にはわたしのみが存在するのだ。

9312コルク人形

「猟犬」 ヨルン・リーエル・ホルスト 猪俣和夫訳 早川書房 ★★★★
ノルウェーの首都オスロから南西に100kmほど離れた小さな街ラルヴィクの警察に勤務するヴィリ
アム・ヴィスティング警部は勤続31年のヴェテラン捜査官である。そんなある日、新聞社の記者を
しているヴィスティングの娘のリーネから17年前に解決したと思われていたセシリア事件で証拠の
DNA鑑定で偽造があったという告発がなされ新聞で大々的に報じられるとの予告の電話を受ける。
まさに青天の霹靂である。当時、この事件の捜査責任者であったヴィスティングは即時停職処分を勧
告され警察官の身分を停止されることになってしまう。黙って処分を待つまでもなくヴィスティング
は事件の再調査に乗りだす。ちょうどそのころ、娘のリーネはオスロ湾を挟んで対岸に位置する土地
で起きた殺人事件を取材していた。もしこれが大事件に発展すればすこしは父への風当たりも弱くな
るかもと考えたりもする。だが独自の調査で割り出した被害者宅を訪れた際に家宅侵入犯に遭遇して
しまう。彼が事件の犯人なのかそれともたまたまの偶然なのか。こうしてふたつの事件がヴィスティ
ングとリーネを中心に展開していく。まったく別々の事件と思われたものがいつしか関連性を帯びて
くるのだった。セシリア事件での証拠偽造はどうも警察関係者が関係したしかにあったようなのだ。
ここからヴィスティング警部の調査は警察官の身分をはがされながらも本格化していく。セシリア事
件で有罪となったハーグルンとの対面場面など緊迫感あるストーリーは息づまるものがある。犯罪に
は動機がある。ヴィスティングとリーネは話す。彼女は「動機って何かしら」と問いかける。
『「動機には八つあるといつも思っている」ヴィスティングが答えた。
 「八つ?」
 うなずいて、数えあげていく。「嫉妬、復讐、金目当て、欲望、スリル、追放、狂信だ。嫉妬や復
讐心による殺人は最も簡単に説明がつく。個人的に金銭が絡んだ殺人もそうだ。スリルというのは動
機としてはあまり表には出てこない。出てくるとすれば連続殺人だが、幸いこの国ではそういうのは
多くない」
 ……
「でも、まだ七つにしかならないわよ」リーネが言った。「八つめの動機は何?」
「これはおそらく見抜くのがいちばん難しい」ヴィスティングが返す。「別の犯罪を揉み消すために
犯す殺人だ」』
本作品はかの有名なマルティン・ヴェック賞など北欧の主要な三賞を受賞している。

「地球を「売り物」にする人たち」 マッケンジー・ファンク
                    柴田裕之訳 ダイヤモンド社 ★★★★

地球温暖化といわれて久しい。ほんとうに温暖化しているのかという問題はさておく。本書はそんな
地球の様子を六年の歳月をかけて追った力作である。著者が冷静沈着に書いているのに好感をいだく。
『本書は人類が性懲りもなく温暖化を促して生み出す気でいるように思える世界に対して、私たちが
どう準備を進めているかについての本だ。気候変動がテーマではあるが、それを科学的に解明するた
めのものでもなければ、気候変動をめぐる政治についてのものでもないし、どうすれば私たちが気候
変動を止められるか、あるいはなぜ止めるべきなのかを直接取りあげるわけでもない。それでは何の
本かといえば、「人類は気候変動を早急に止めそうにない」というシンプルでシニカルな前提に賭け
た、人間のふるまいについてのものだ。』
どこかのだれかのように反対と叫んでいれば世界が変わるのであればいいのになと思う。だが現実は
そんなことでは一ミリも動かないようだ。
『本書は人々、それもおもに私のような人間、すなわち歴史的に見て、いわゆる温室効果ガス排出国
と呼ばれる、北半球の先進国の、文字どおりの意味で、あるいは比喩的な意味で高い位置を占め、ド
ライな土地に暮らす人についてのものだ。
 私は、気候変動が人間にどのような行動をとれせるかに関心がある――私たちがどのように危機に
立ち向かうかのケーススタディ、それも究極のケーススタディとして。』
そもそも地球レベルでの温暖化というのはどのくらいのスパンで考えるものなのだろうか。たとえば、
一万年単位とか。いやいや地誌レベルだと十万年が一メモリぐらいになるのか。地球はなんども氷河
期を迎えたらしい。氷河期がほんとうに来れば人類は絶滅するかもしれない。それよりいまこの地球
温暖化を考えてみるということだ。地球の平均気温は上昇している。それにつれて北極の氷床が溶け
だしている。氷河は年々小さくなっている。海面の上昇がみられる。このまますすめば確実に水没す
る都市もでてくるだろう。悲観的になるのは見方がせまい。いままで閉ざされていた北極海航路は通
年可能になるかもしれない。グリーンランドもまさにその名のとおり資源あふれる土地に変わるかも
しれない。どこかがマイナスになればどこかでプラスがある。地球温暖化はゼロサムゲームなのか。
著者は世界各地で実見してきたことを本書にしるす。読者はどう判断するのか。ここからなにを読み
とるのかは自由だ。本とは本来そういうものではなければいけないのではないか。書き手とおなじよ
うに読む側も考える力がなければならない。扇動的言辞にはもう飽き飽きしているのだ。その陰で投
資家はなにを考えどう行動しているのだろうか。
『気候変動関連投資家にとって、水は明白な投資対象だった。二酸化炭素の排出は目に見えない。気
温は抽象概念でしかない。だが、氷が解け、貯水池が空になり、波が押し寄せ、豪雨が降り注ぐとい
うのは、具体的ではっきり捉えられる。いわば、気候変動の「顔」だ。水のおかげで気候変動は実感
を伴う。』
単に水そのものだけの問題ではない。農業に水は欠かせない。こういうことを知っているのか。
『小麦を1グラム輸出するのは、水を1リットル輸出するのに相当する』
地球温暖化も投資家にとってはビジネスチャンスにすぎない。


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墓所で読書
あれはいつのころのことだったのだろうか。もうお盆の時期はとうにすぎていた。でもいちどはお参
りしないとな、などと考えていた。寺には人の気配もなかった暑い昼下がりだった。桶と柄杓を勝手
に借りて坂道をひとり登っていった。このあたりだったかなあ。なんとも頼りない。だがなんとか目
的のお墓にたどりついた。いまのぼってきた道をふりかえると海が見えた。すこし潮のにおいもする
ようだった。花を供えてしばらくぼんやりしていた。いまでもときおり声が聞こえてくるような気が
するのだ。明るく元気そうに笑いながら話している。おれはときおり頷くだけできいていた。いかに
も愉快そうに話す光景がうかんでくる。もう何十年も前のことなのにやけに鮮明にくっきりと記憶に
のこっている。墓石のちかくに座れる場所をみつけて腰かけた。持参した本をそっと開く。後からの
ぞきこんで「なにを読んでいるのよ」と問いかけられるのじゃないかと、つい期待してしまうのだ。

N9494シオカラトンボ

「判決破棄 リンカーン弁護士」(上)(下)
                マイクル・コナリー 古沢嘉通訳 講談社文庫 ★★★★

マイクル・コナリーの作品にはリンカーン弁護士ミッキー・ハラーものとハリー・ボッシュ刑事のシ
リーズがある。本作はミッキー・ハラーの3作目であり、かつハリー・ボッシュも登場する(こちら
なら16作目)。映画でいうならダブル主演というところだ。ファンにとってはたまらない。さて、
物語は24年前におこった少女殺害事件の有罪判決を破棄するというものである。犯人とされたジェ
イスン・ジェサップは無実を訴え続けていた。その後DNA鑑定の技術が進歩し証拠となった被害者
のメリッサ・ランディのワンピースの裾についていた精液がジェサップのものではなかったことが判
明したからである。ジェサップは犯人ではなかったのか。やはり犯人なのか。これに対して検察側は
黙って引き下がるか再度裁判で争うのかという判断をせまられる。そこででた奇策が、弁護士ミッキ
ー・ハラーを独立特別検察官として任命するというもの。こういう制度がアメリカらしいですね。ハ
ラーは勝算がうすいこの事件をふだんとは真逆の検察官として引き受けることになる。そして相棒に
は元妻のマギー・マクファースン検事補、調査員にはハリー・ボッシュ刑事があたるということにな
る。ジェサップの弁護士にはやり手として知られるクライヴ・ロイスがつくことになる。アメリカで
の裁判は陪審員制度である。被告が有罪か無罪かは陪審員の判断にゆだねられるのだ。証拠はもちろ
ん弁論も陪審員を説得するものが求められる。そこにはもちろんアメリカの文化が色濃く反映される。
動かぬ証拠であってもこんな解釈が可能だと納得させれば判断はひっくりかえる。行き詰るような法
定場面、証拠・証人をもとめての捜査過程など読みどころ満載である。後半になって二転三転すると
ころなどコナリーが人気のあるゆえんなのだ。あっというまに読み終えること請け合いである。
『ボッシュは頭のなかに、自分の娘の姿を一瞬思い浮かべた。たとえどんなに困難であっても、阻止
せねばならない悪が世のなかにはあるとボッシュは知っていた。子どもを狙う殺人鬼はそのリストの
一番上にある。
「わかった」ボッシュは言った。「加わろう」』
子ども殺しは人のなす悪のなかでももっとも許されない。どこかジェサップの行動はおかしい。だが、
裁判では証拠が納得させる論理がなければならない。ボッシュ刑事がんばれとこころのなかで叫ぶ。

「本当は怖い動物の子育て」 竹内久美子 新潮新書 ★★★★
ある種の動物はおなじ種の赤ちゃんを殺す。これを知ったのは杉山幸丸さんのインドでのハヌマンラ
ングールについて書かれた本を読んだとき。インドでは神の使いとされている美しいサルだ。だが群
れのオスが交代したとき、その時点で群れにいた赤ちゃんザルは殺される。なぜか。赤ん坊のサルを
失ったメスはふたたび発情が可能になってオスを受けいれることができるからだ。なんとも人からす
れば悲惨なことだ。だがそれが自然界ではよくあることだと知られてきた。単純にそれをヒトに敷衍
することはできないが、一考するには価する。進化論も種というより個々の子孫を残そうと、あるい
は血縁にあるものを生かそうとする考えに傾いているようだ。この本を読んでいるとそんなことを思
ってしまう。なんだかやるせないのはしかたのないことないか。
『ほ乳類のメスには普通、子に頻繁に乳を与えている限り、子が乳を吸うという刺激によって、発情
もしなければ、排卵も抑えられるメカニズムがあります。しかし乳を吸う者がいなくなってしばらく
すると、発情と排卵が再開されるのです。
 ここで子を殺された母親の豹変ぶりを責めることはできません。我が子を守り切ることができない
のであれば、次善の策としては、できるだけ早く発情して新しいオスとの間に子をつくる。それ以外
に自分の遺伝子のコピーをよく残す道はないのです。』
ではヒトも哺乳類だが、そういうことはないのか。世界各地の先住民には「嬰児殺し」とよばれるも
のが存在する。日本人はもの忘れてしまったしれないが、つい最近までは「間引き」といい慣わされ
たものが存在した。童謡「シャボン玉」はそのことを歌っているともいわれたりする。ヒトの場合な
ぜ殺すのか。南米ボリビアアのヨレオ族の女性に問うた結果がある。
『どういう場合に子を殺すのかという問いに、女たちはこう答えました。
 まず、父親から確実なサポートが得られそうにないとき。
 正式な結婚相手ではない男との子どもを殺す理由は、ここにありました。しかし、それ以外の場合
でも、次のような場合には殺すと答えています。
 奇形児や双子が生まれたとき(双子の場合にはどちらかを殺す。)
 そして、生まれた子が上の子と年が接近しすぎていて、もし育てるとすると上の子の生存が危うく
なりそうなとき。』
育てられそうもないとの判断があるわけですね。さらに重要なのは以下のこと。
『この判断は当の女に委ねられており、どう選択しても罰せられることはありません。その判断のた
めの文化や風習、掟が存在しているのです。』
ここで思うのは、普遍的に悪であるとか絶対に悪であるとかといえるのか。そういうことを声高にい
う御仁に限って、偽善的だったり無知蒙昧だったりするんですよね。


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ムッシュ

Author:ムッシュ
島を旅するときが楽しいですね。
遠くに眺めるのも好きです。
楽園なんてないんですけどね。

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